相対論2006年第5回

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第4章 光速度不変から導かれること-図形的理解


 今日の授業は、以下で時々挿入して いるアプレットを見せることに終始した。というわけでこのテキストは配ったものの、内容を逐一説明はしていない。来週もう少し数式なども交えつつ、この内 容をおさらいしていく予定。


 19世紀の常識からすれば、マックスウェル方程式に基づく電磁気学は「ガリレイ変換で不変でない」、別の言い方をすれば「特殊な座標系(エーテル静止 系)でしか適用できない」という弱点を持つことになる。でははたして、地球はエーテルに対して動いているのか否か?-これを判定するための実験が行われ た。
この章では、その実験の概要と、実験からわかった「光速度は誰から見ても同じである」という事実をどのように解釈しなくてはいけないかを図で示す。数式を 使った理解は次の章に回す。

4.1  マイケルソン・モーレーの実験

 ヘルツの考察から、ガリレイ変換が正しいとすれば、電磁気の基本法則はマックスウェル方程式ではなくヘルツの方程式で表されることにな る。このヘルツの方程式は結局は間違っていたわけであるが、間違っていると言っても理論的に間違っているわけではない。ヘルツの方程式は実験によって否定 されるのである。ヘルツの方程式が正しいかどうか、あるいはエーテルが存在しているのかどうかを確認する実験として、ここではもっとも有名で、かつ直接的 な測定であるマイケルソン・モーレーの実験について述べよう。光の速度がエーテルの運動によって変化するかどうかを確認した実験である。光の速さを測定し よう、というのであれば、一番単純な方法は「A地点で光を発射してB地点で受ける。A地点とB 地点の距離をかかった時間で割る」というものであろう。原子時計などを用いて精密に時間を測ることができる現代であれば、まさにこの通りの実験ができる。 しかし、当時はまだそんな測定はできない。そこで干渉を用いて速度変化を検出しようというのがマイケルソン・モーレーの実験である26


 マイケルソンは以下で説明する原理の実験を、1881年に最初に行っている。以後、1887年からはモーレーと協同で装置を改良し、実験精度を上げなが ら実験を続けている。実験の目的は、南北方向の光と東西方向の光の速度を比較することである。地球が南北方向より東西方向に大きく動いているであろう(太 陽が静止していると考えて、太陽から地球の運動を見ていると考えればこれはもっともらしい)ことを考えると、速度には差が出てきそうに思える。また、たと えそうでなく、たまたまエーテルの流れと地球の自転公転の速度が一致していたとしても、地球は1日の間に1自転し、1年の間に1公転する。したがって長い 時間実験を行えば、かならずどこか(いつか)エーテルの風が吹く場所がありそうである。
 マイケルソンとモーレーの実験では、図のように、同じ長さの腕2本の上を光が往復する。エーテルが静止している(あるいはエーテルと実験装置が同じ速度 で動いているとしても話は同じこと)と考えると、どちらの方向に進んだ波も、帰ってくるまでにかかる時間はt=[2L/c]となるだろう。

 この実験をモデル化したアプレットがこれ。今日はこれを見せながらこのあたりの内容をしゃべった。

 ではエーテルの風が図で左(西向き)に吹いている場合(あるいはエーテルが静止していて、観測装置が右に動いている場合)を考えよう。断っておくが、以 下の計算はガリレイ変換が正しいと仮定した場合の計算である(後でこう考えたのではいけない、ということがわかる)。この仮定のもとでは、 2種類の計算ができる。一つはエーテルが静止して実験装置が右(東)に動いているという立場であり、もう一つは実験装置が静止してエーテルの風が西向きに 吹いているという立場である。
エーテルが静止している立場: まず、エーテルが静止している立場で考えよう。この立場では、実験装置が右へ動いている、ということになる。その立場で書いたのが上の図の中央と右の図で ある。実験装置がエーテルに対して速度vで東(図で右)に運動しているとして、南北方向へ進む光について考える。中央から棒の端まで光が進むのにt かかったとすると、ピタゴラスの定理により(ct)2=(vt)2+L2が成立す る。光が往復にかかる時間はこの2倍なので、
t南北= 2L

  _____
c2−v2

(4.1)
となる。次に東西である。まず中央から棒の端まで光が進むのにt1かかったと する。その間に棒もvt1進んでいるので、光はL+vt1進まねばならない。逆 に棒の端から中央まで戻る時にt2かかるとすると、この時進む距離は L−vt2でよい。以上から

L+vt1=ct1

(4.2)

L−vt2=ct2

(4.3)
を解くことにより
t東西= L
c−v
+ L
c+v
= 2cL
c2−v2

(4.4)
が求まる。
実験装置が静止している立場 :この場合はエーテルの風に乗った方向(西行き)では光速が c+vになり、逆風の方向(東行き)では光速がc−vになると考えて計算する。
  また、エーテルの風と直角の方向(北行きもしくは南行き)の光は、速度が√[(c2−v2)]に減る(速さ cで斜めに進んだ光が、速さvで東に流されると考えれば、ピタゴラスの定理でこうなることがわかる)。
 このように考えると、距離Lを速さc+v,c−v,√[(c2−v2)]でそれぞれ割って足し算するとい う計算でt東西やt南北が計算できる。結果は同じことになるのはすぐにわかる。
 以上、どちらの計算でもt東西とt南北が得られる。そして、この二つには差がある。vはcより十分小さい として近似を行うと、
t南北 2L
c

(
1+ 1
2

( v
c
) 2

 
+… ) ,     t東西 2L
c

( 1+ ( v
c
) 2

 
+… )
(4.5)
 つまり、[2L/c]×1/2(v/c)2ぐ らいの時間差が出ることになる。cが自転(秒速0.46キロ)や公転(秒速30キロ)に比べて非常に大きい(秒速30万キロ)ため、v/cは 公転速度をとったとしても10−4程度の値になる。最初の実験ではL=3mほどだったので、時間差は
∆t = 2×3
3.0×108
× 1
2
(10−4)2 ≅ 10−16
(4.6)
となり、10−16s以上の精度での時間の測定が必要となる。そこで実際の実験では時間を直接測定するのではなく、光の干渉を用い て到着時間が変化する様子を見定めようとした(実際には到着時間が変化しないという結果が出た)。
二つの光をハーフミラーなどを使って重ねてスクリーンなどにあてると、ヤングの実験やニュートンリングの実験などと同様に、二つの光の光路差によって干渉 が生じ、スクリーン上に縞模様ができる(実際に使う光はある程度の広がりがある)。エーテルの風が吹いている時と吹いてない時では光路差が違うので、干渉 の(強め合うとか弱め合うとか)の条件が変化する。10−16という時間は短いが、光路差に直すとc=3.0×108が かかって3.0×10−8mとなる。光としてナトリウムランプを使ったとしたらその波長6×10−7mに比 べ、だいたい20分の1 となる。この光路差の違いは干渉縞の移動という形で関知できる。
実験装置は90度回転できるようになっており、回転しているうちに南北と東西が入れ替わる。光路差はプラスからマイナスへと、この倍変化するので、波長の 10 分の1程度光路差が変化する。ということは明線から明線までの距離の10分の1 (明線から暗線までの距離の5分の1)の干渉縞の移動が見られるはずであった。ところが、実際にはそのずれが観測されず、エーテルの風は吹いていない、と いう結論になった。マイケルソンとモーレー、あるいは別の人々が実験装置を大きくしたり、光を何度も反射させてLを大きくしたりして、いろんな実験を行っ たが、結果は常に予想される移動量よりも小さく出た(この移動は誤差の範囲内)。
いくつか、この実験結果への反論(および反論の反論)を紹介しておこう。
運動しながら光を出せばその光の速度はcではないのでは?
つまり「実験装置が動いている場合の計算で速度をcにしているのが間違いなのではないのか」ということだが、例えば音の場合、音源が動いているからと言っ て音速は変化しない。音速が変化するとしたら、風が吹く(つまり媒質が運動する)か、観測者が動くことによってみかけの音速が変化するか、どちらかであ る。今は媒質の運動しているかどうかを観測する実験をやっているのである。なお、t東西 の計算ではc+vやc−vが現れているが、これは光速が変化しているのを意味しているのではなく、棒の両端(光源ではなく、光を受ける方)が動いているた めに到達時間がのびたり縮んだりしていることのあらわれである。式(4.2)と式(4.3) の作り方をよく見てみよう。

たまたま、エーテルの移動と地球の移動が同じ方向だったのでは?
だとしたら、その6ヶ月後に同じ実験をしたら、公転速度の二倍分、エーテルに対して地球は移動しているはずである。しかし、そんなことはなかった。

エーテルが地球といっしょに運動しているのでは?
この実験だけを説明するのなら、「エーテルは地球表面といっしょに運動しているので、地球上で実験してもエーテルの運動は検出できない」という考え方でも 説明できる。しかし、そうだとすると地球表面でエーテルが渦巻くような流れを作っていることになり、外から地球にやってきた光は、地表面近くのエーテルの 流れに流されることになる。これでは、我々が見ている星の位置は、地上のエーテルの流れに流された分ずれることになってしまう。しかし、そんな現象は確認 されていない。また、マイケルソンとモーレーは屋外での実験も行っており、「部屋の中のエーテルは部屋と一緒に動いている」という考え方も正しくない。

実験の精度が悪かったのでは?
実験というのは、「これを判定するためにはこれだけの精度が必要である。ゆえにこのように実験装置を組み立てる」という計画を持って行うもの である。マイケルソンらも、上に書いたような「光の干渉縞はどれだけ移動するはず」という予想をもって、誤差の精度がその予想より小さくなるように注意し て実験を行っている。正しい実験家は、精度が確保できないような実験は最初から行わないのである。だから「古い実験だから精度が悪い」などということはな い。また、この実験自体は現在でも(光にレーザーを用いるなど、さまざまな改良をしたうえで)行われているので、「古い実験だから」などという反論は、そ もそも成立しない。

4.2  古い意味のローレンツ短縮

 マイケルソン・モーレーの実験でエーテルの速度が検出されなかったことは、物理学者たちに衝撃と困惑を与えた。ローレンツはt東西とt南 北が√{1−(v/c)2}倍違うことから、「東西方向の棒の長さは√ {1−(v/c)2}倍に縮んでいる」という説を唱えた。これが古い意味での 「ローレンツ短縮」である。フィッツジェラルドも同じようなことを考えていたので「ローレンツ・フィッツジェラルド短縮」と呼ぶこともある。
ローレンツは、この短縮は観測できないと述べている。なぜなら、この短縮を観測しようとして物差しをあてると、その物差しも一緒に縮んでしまう。また、目 で見ようとしても、見ようとする目自体も横に短縮している。よって地上で、同じ速さで走っている我々がローレンツ短縮を測定することはできないのである。 地球の外から見れば見えるだろうが、その短縮の割合は√{1−(v/c)2}であ り、v/cが10−4程度だから、縮む割合は10−8程度と なる。そもそも、この精度で長さを測定すること自体が難しいだろう。
 本によっては、「ローレンツ短縮」を相対論の帰結である、と説明しているが、ローレンツはあくまで実験を説明するためにad hoc27にこの短縮を導入したのであって、相 対論の帰結として理論的に導き出したわけではない。
 もう一つ注意しておく。このローレンツ短縮という考え方では、マイケルソン・モーレーの実験について説明することは可能だが、そのほかの実験を説明する にはこれでは足りない。「ローレンツ変換」はその一部として「ローレンツ短縮」と同様の現象を含んでいるが、より広い意味がある。
 「ローレンツ短縮」も「ローレンツ変換」も、アインシュタインではなくローレンツの名前がついている。どちらもアインシュタインより前にローレンツが提 出しているからである。しかしローレンツは(同様にこのあたりの研究をしていたポアンカレもそうなのだが)「ローレンツ短縮」を、例えば「エーテルの圧力 によって物体が縮む」というような、力学的な意味での短縮だと考えていた。「ローレンツ変換」に関しても「こう考えればうまくいく」という提案であって、 その意義を理解してはいない。後で出てくるアインシュタインによる考え方とはその点が違うので注意すること。



[問い4-1] マイケルソン・モーレーの実験で、二つの腕の長さを変えたと しよう(東西はL、南北はL′)。 この時はエーテル風が吹いていない状態でも時間差がある。エーテル理論の立場に立ち(つまりガリレイ変換を用いて、光速は変化するという立場にたって) エーテル風が吹いていない場合の時間差と、エーテル風が吹いている場合の時間差を計算し、ローレンツ短縮が起こったとしても、この二つが違う値を持つこと を確認せよ。
(註:このような実験は1932年にケネディとソーンダイクによって行われている。「エーテル 風の分だけ光速が変化しているがローレンツ短縮が起こっているのでマイケルソン・モーレーの実験ではそれがわからない」という仮説が正しいなら、この時間 差は測定できるはずであるが、できなかった。ということは、ローレンツ短縮だけでは実験結果を説明することはできないのである。この実験も含めてちゃんと 説明できるのは次で説明するローレンツ変換である。)
[問い4-2] ローレンツ短縮という現象が起きているとすると、確かに二つ の光はエーテル風が吹いていても吹 いていなくても、同時に到着する。しかし、この立場で考えると、ある二つの事象が、エーテル風がない時には同時であるのに、吹いている時には同時に起こら ない。それは何か???




【補足】この部分は授業では話さない可能性もあるが、その場合は読んでおいてください。

4.3  現代における光速度不変

  マイケルソン・モーレーの実験は100年以上前の実験であり、当時の実験技術の粋をこらして実行されたものとはいえ、現代の技術でならばもっと精密な実験 が可能である。もちろんそのような実験も行われており、マイケルソンとモーレーの実験に比べると精度は10万倍に上がっている28。もちろん、光速度不変の原理を疑う に足る証拠はまったくない。
  しかも、現代ではもっとシンプルな方法で光の速さを測定できる。「A 地点で光を発射してB 地点で受ける。A地点とB地点の距離をかかった時間で割る」という方法である。マイケルソン・モーレーの実験ではエーテル風の影響は(v/c)2の オーダーであったが、このような直接測定を行えばv/cのオーダーで影響が出る。一方、現在の原子時計が 10−7 秒ぐらいの精度で時間を測ることができる。
  逆に、「光がこれだけの遅れで伝わってきたからA地点とB地点の距離はこれこれである」という原理で現在位置を測定する機械がある。カーナビなどで使われ ているGPS(Global Positioning System)である。GPSは複数の人工衛星からの電波を受信して、その電波が発信源からどれくらい遅れて到着したかということを計算して自分の位置を 測る。衛星Aからの電波が衛星Bよりの電波に比べてより遅れているのなら、自分は衛星Bの近くにいると判断する、という具合いである。このような機械がう まく動作するためには「光速が一定である」という大前提がなくてはならない。衛星は頭上2万キロぐらいの高さを回っている。カーナビの精度は数メートルぐ らいであるから、10−7の精度で距離が測定できていることになる(誤差の原因は、電波が大気中を通る時の速度変化と、軍事利用さ れないためにわざと混入されている誤差)。エーテルの風が吹くという考え方がもしも正しいならば、GPSの衛星から来る電波の速度が季節によって10−4ぐ らい変化してしまうことになるので、10−7の精度で距離を測ることなど、とてもできない。つまり、現在我々の生活に直接関係する 部分でも、エーテルが存在しないことを前提とした機械が使われており、しかも何の問題もなく動作しているということになる。すくなくとも現在の実験のレベ ルにおいて、光速度不変を疑うことはもはやできない。もちろん今後実験精度がさらにあがった時に何か変なことが発見される可能性は零ではないが、それを言 い出せば、もともと物理における全ての法則は実験精度の範囲内でしか保証されていないのは当然のことである。

【補足終わり】

4.4  光速度不変から導かれること-同時の相対性

  ここまでで、マックスウェル方程式がガリレイ変換で不変でないということを述べた。この解釈として、マックスウェル方程式は特定の座標系でしか成立しない 方程式であると考えることもできるし、ガリレイ変換が正しくないと考えることもできる。しかし前者は実験により否定されてしまったので、後者を考える必要 がある。マイケルソン・モーレーおよびそのほかの実験の結果として「光速はどのように動きながら測ってもcである」という事実がある。つまり、マックス ウェル方程式は全ての慣性系で成立していると考えるべきなのである。だから、それにあうように理論を作らなくてはいけない。よってガリレイ変換の方を修正 する必要が出てくるのである。
アインシュタインは「物理法則は全ての慣性系で同じである」という要請を特殊相対性原理と呼んだ。この物理法則の中にマックスウェル方程式 も入っているとすれば、これは光速度不変の原理を含んだ原理である。そしてこの原理が成立するためには、ガリレイ変換ではない座標変換を作らなくてはいけ ない。
まず図的表現(グラフ)から「光速度不変から何が導かれるか」を示そう。
  長さ2Lの電車を考える。ただし、今はこの電車は動いていない。中央に人間が立っている。前方の端(人間からの距離L)と後方の端(人間からの距離はL で同じ)に電光掲示板式の時計があるとする。今、ある時刻(図では0時0分0秒とした)を示す時計の光は、時間L/c後 (図では1秒後として書いた)に中央の人間に到達する。つまりこの瞬間(図では0時0分1秒である)、中央の人はどっちの時計を見ても0時0分0秒という 目盛を読めることになる。
 
  電車の前方から後方へ向かう方向へと移動している観測者がこの現象を観測したとする。この観測者から見ると、電車は前方に向けて運動しているように見え る。
  ガリレイ変換的な考え方(つまりは我々の直観に訴える考え方)からすると、前方から出た光は、観測者の運動と同方向に伝播することになるので、観測者の速 度の分遅くなる。同様に後方から出た光は観測者の速度の分速くなる。一方、光が到達するまでの間に電車の中央は前方に移動する。それゆえ、結局は同時刻に 出た光が同時刻に中央に到達する、ということになる。この二つの図は、どちらも同じ現象を表しているのである。上の図は止まっている電車を見ている図で、 下の図は止まっている電車をわざわざ走りながら見ている図である。
  しかし、実験事実はこのような(直観的に正しく思える)考え方を支持しない。実験によれば光速度は一定であるから、「後方から出た光は観測者の速度の分速 くなる」などという現象は起きない。では、左図のようになるのだろうか。だが、これもおかしい。なぜなら、この図では光が中央に到着するのは同時ではな い。同じ現象を見方(観測者の立場)を変えて見ているだけであるということに注意して欲しい。中央の人は「自分には同時に光が到着した」と思うはずだ。そ して、その現象は電車の中の人が見ようが外の人が見ようが変り得ない。
 
  満足のいく解釈は、前方と後方で時間がずれていると考える他はない。つまり、「同時刻」という概念は観測者に依存するのである。したがって、動いている人 にとっての時刻t′が一定になる線(1+1次元で考えているので線だが、3+1で考えていれば3次元超平面)は、時刻tが一定の線に対して「傾く」という ことになる。
  ガリレイ変換の時は、t軸(x=一定の線)とt′軸(x′=一定の線)は傾いたが、x軸とx′軸は同じ方向を向いていた。しかし、相対論的な座標変換にお いては、t軸もx軸も、両方が傾かなくてはいけない。そうでないと、光速度一定を満たすことができない。式で考えると、これはt′の式の中にx,tの両方 が入ってくることを意味する。
 
ここでグラフを描きながら、t軸とx軸が傾くことを確認しよう。作図を楽にするために、縦軸はt,t′ではなく、これに光速度cをかけたct,ct′とす る。こうすると、縦軸と横軸は同じ次元になると同時に、光の進む線がグラフの上ではぴったり45度の線になる(光は単位時間にc進むから)。以後、縦軸は ct軸またはct′軸である。
  まず、電車が静止している座標系での、電車の先端、中間にいる人間、後端のそれぞれの軌跡を図に書くと、左のようになる。縦の3本の線は左から、電車の後 端、人間、先端の軌跡であり、斜めに走る線は光の軌跡である。A点で電車の後端から出た光と、B点で電車の先端から出た光が、M点で人間の目の前ですれ違 い、C点とD点に至る様子を表している。
  次に、同じ現象を左向きに速さvで走りながら(つまり速度-vで走りながら見る)。電車の先端、真ん中の人間、後端は下左の図のような動きをする。
    
  さて、この図の中にABCDMの各点を書き込んでいこう。まず両方の座標系の原点をAとすることにして、A を書く(どこかに座標系を固定しなくてはいけないのだから当然だ)。次にA点から光を出す。光はこの座標系では常に45度の方向に進む。そしてそれが人間 の軌跡と交わるのがM点。そこを通り抜けて電車の先端の軌跡に達する場所がD点である(上右図参照)。
 では次に、先端から出た光の軌跡を書いてみよう。ここで大事なのは、この光はM点を通過しなくてはいけないことである。なぜなら、この光が0時0分0秒 の時計の文字盤からの光だとするならば、この人はこの(M点で表される)瞬間、前を向いても後ろを向いても、ちょうど時計が0時0分0秒を示さなくてはい けない。つまり「0時0分0秒という文字盤の光」が同時にこの人を通過しなくてはいけないのである。今考えている座標変換というのは、見る人の立場によっ て物理現象がどう変わってみるかを式で表すものである。「この人がどっちを向いても0:0:0が見える」という事実はどちらの座標系で考えても成立しなく ては行けない、物理的事実である。よって、M点から右下と左上に45度の傾きの線を伸ばしていく。結果が次の図である。
  これから、x'-ct'座標系(電車が静止している座標系)において「同時」であるA点とB点は、x-t座標系(電車が運動している座標系)においては同 時でない。
  なお、同時の相対性にずいぶんこだわっていろいろ図を書いて説明しているが、それはこの同時の相対性こそが相対論を理解するのにもっとも重要な(そして、 それゆえにとっつきにくい)概念だからである。この説明で「わかった」と思えた人は、相対論理解という山の七合目までは来ている。

 こ の電車の思考実験のアプレットはこっち

4.5  光速度不変から導かれること-ウラシマ効果


  マイケルソンとモーレーの実験における、南北方向の光について思い出す。実験装置が動いていないという立場(地上にいる人の立場)で観測すると、距離2L を光が進むので、往復に[2L/c]かかる。一方同じ現象を、装置が速さv で東に動いているという立場(地球外の人の立場)で観測する。この人にとっては光は南北方向にではなく、少し斜めに(光の速度ベクトルcと地球の速度ベク トルvが図に書いたような関係になるように)進んでいる。この人にとっての光の速度の南北方向成分は√[(c2−v2)] になる(当然cより遅い)。
  ゆえにこの時に光が発射されてから到着するまでの時間は[2L/(√{c2−v2})]となる(Lは南北方 向の距離であることに注意せよ)。つまり、地球外の人の方が同じ現象にかかった時間を[1/(√{1−[(v2)/(c2)]})] 倍だけ、長く感じることになる。
  このように、動いている人(この場合は地球上にいる人)の時間は止まっている人(この場合は宇宙から観測する人)の時間より遅くなることになる。これを浦 島太郎の昔話になぞらえて、ウラシマ効果と呼ぶ。

 ウ ラシマ効果のアニメーションはこっち


  ここで、地上でも宇宙でも相手の方が時間が遅いと感じるなんておかしい、と思うかもしれないが、次のように考えるとおかしなところは何もない。
  地上で実験する場合、光の発射と到着は図Aに矢印で「発射」と「到着」と示した2つの時空点である。この場合、x′座標系で見て同じ場所に光が戻ってい る。x座標系でみれば、同じ場所に光は戻っていないことになる。一方、宇宙で実験する場合(図B)の「発射」と「到着」は、x座標系で見て同じ場所に光が 戻る(x′座標系では同じ場所に戻らない)。
  どちらで実験する場合も、実験装置と共に動いている方は、[2L/c]という時間を観測する(これは相対性原理からして当然)。もう一方は、その時間を、 「自分の時間」を使って測定するのだが、互いの同時刻面は相手に対して傾いている。その傾きがゆえに、双方が「おまえの時間の方が遅い」と判断することに なるのである。
  図B'は、図Bを、x′−t′座標系が垂直になるように書き直したものである。ct 軸に関しては図Bを左右逆転したような図になっている(速度逆向きの座標変換だから)。
  また、図C中の点線は原点からいろんな速度で出発した人の時計が同じ時刻を刻む時空点を線でつないだものである。速く動く人ほど持っている時計は遅く進む ので、垂直に対して傾いた軌道をとっている人ほど、止まっている人との時間差が大きくなる。
  結局、x′−t′系での同時がx−t座標系から見ると傾いていてx−t座標系での同時と同じではないため、このように「互いに相手の時間を短く感じる」と いう一見矛盾した結果が出る。
以上、この章では、「光速度が誰から見ても(どんな慣性系から測定しても)同じである」という事実から
  1. 物体の長さは見る立場によって違って見える(長さのスケールは絶対ではない)。
  2. 見る立場によって二つの事象が同時かどうかは変わってくる(同時性も絶対ではない)。
  3. 経過する時間は見る立場によって違って見える(時間のスケールも絶対ではない)。
ということが帰結されることを説明した。
  これは日常的な感覚からすると非常識に聞こえる。しかし、我々の「日常的な感覚」は、飛行機に乗ったとしてもせいぜい3×102m/s つまり光速度の100万分の1の速度でしか運動しない生活で培われたものであることを忘れてはいけない。
  たとえばウラシマ効果の係数√{1−[(v2)/(c2)]}は光速度の100万分の1(10−6) の場合、



 

1−(10−6)2
 
=0.99999999999949999999999987499999999993749999999995…
(4.7)
であって、1よりも0.5×10−12程度小さいだけである。この程度の時間差は日常では関知できないから、そんな差が生まれてい るとはとても思えない。しかし、精密に測定すればもちろん実験で確認できるのである。
次の章では、以上の結果を数式でまとめて、もう一度考察する。

Footnotes:

26現在ならもっと直 接的でシンプルな実験が可能だという意味では、マイケルソン・モーレーの実験を使って光速度不変を説明するという方法は、"古臭いやりかた"なのかもしれ ない。このテキストでは歴史的重要性を尊重して古臭いやりかたを踏襲する。
27「その場しのぎ」 という意味の言葉。科学でなにかの現象を説明するために急ごしらえで作った説などを「ad hoc仮説」などと言う。
28むしろ、マイケル ソン・モーレーの実験器具は干渉を用いて精密に距離を測定する方法として使われることも多い。光速が一定であることを逆手にとって利用して、距離をはかる 手段に使うのである。重力波の観測機器にも使われている。

学生の感想・コメントから

 マイケルソン・モーレーの実験ですごいと思ったところは、当時正確な時計がなかったから直接 時間を測定するのではなく、光の干渉を用いたことです。
 実験をやる人というのはほんとにうまく考えるものだと思います。

 速度が何かわ からなくなりました。
 えらいまた根本的なところまで戻りましたな。まぁ頭を冷やして考え直して ください。

 実際に人が光 速で動けるとしたら(で始まる質問多数)。
 もうすぐちゃんとやりますが、実は人は(物体は)光速で動くことはできま せん。極限としてそういう状況を考えたら、時間は止まるし、物体の体積は0になってつぶれてしまうし、という変なことがたくさん起こります。

 ウラシマ効果 で、地球とスペースシャトルの間で電話はできるのでしょうか?
 できます。時間が遅れると言っても、1億分の1以下の違いですから。

 なんか不思議な気がする。頭が混乱している(同様の感想多数)。
 いきなりこれ聞いて納得する人はあまりいないので安心してください。これ からもう少し(数式なども使ってしっかりと)内容を説明していくので、時間をかけて納得してください。

 地球から1光 年離れている星を見ている場合1年前の星を見ている事になり、月は約1秒前の月を見ていることになるのですが、その距離をもっとせばめていくおt、たとえ ば1メートル離れている二人は10のマイナス何乗秒過去のもう一人を見ていることになるんですか?
 だとしたら「今」という瞬間を見ることは不可能なんですか?
 不可能です。人が「見ている」ということは常にそれよりも過去から来た光 を受けているということなのです。

 とりあえず驚きました。物理しててよかったなぁと思った。
 そこまで言ってくれると授業したかいがあります。

 ロケットに 乗った人と地上の人とでは互いに相手の時間が遅れてみえるようですが、ロケットが地上に降りた時互いの時間はどうみえるのでしょうか?
 ロケットの方が遅れます。お互いだったはずなのに、と思うかもしれません が、ロケットは方向転換する(でないと地球に戻ってこれない)ためにこういうことになります。いつかまた説明します。

 最近マラソンを始めた、若さを保つためにいっしょうけんめいな母に、光速で走ることを勧めた いと思います(笑)
 走れるものなら(^_^;)。

 電車のやつで光が同時に出ないっていうのはそういうふうに見えるだけと考えるんですか?
 それとも、実際に同時に出てないと考えるんですか?
 「実際に」という言葉の定義の問題にもなりますが、「電車の外の人が観測 すれば」という条件で考えれば、実際に違う時間になります。

 走る粒子の方が崩壊するのが遅く見えるという理論がわからなかった。
 ウラシマ効果そのまんまです。速いから時間が遅れる。寿命も延びる。

 今日の話は、 古い常識しか持っていない私には、もう頭から信じてしまうしかないのでしょうね。
 古い常識は新しい常識に変えることができます。ただし、その時にはじっく り考えてからでないといけませんが。1回の話であきらめることはないでしょう。

 ロケットから見ると地球が遅れ、地球から見るとロケットが遅れるというのは変な気がする(多 数)。
 今日のテキストの最後の方に理由が書いてあるのですが、今日はそこは話し ませんでした。来週やりますが、とりあえず気になる人は読んでみてください。

 ローレンツが ローレンツ短縮を考えついた時は、「同時が見る人によって同時でなくなる」という考えを受け入れることができたんでしょうか?
 できなかったようで、彼はこの同時でなくなる時間を「みかけの時間」だと 思ってしまったようです。

 古典力学では時間の一様性からエネルギー保存則が導かれたと思うんですけど、相対論では成り 立たないのでしょうか?
 相対論でもエネルギー保存則はあります。エネルギー保存則と運動量保存則 がワンセットになって一つの法則にまとまります



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On 30 May 2006, 18:36.