科学と非科学(その3)

〜科学と疑似科学


琉球大学理学部物質地球科学科 前野 昌弘




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疑似科学/ニセ科学とは?

 科学を装ってはいるが科学ではない(科学的思考を欠いている、科学の果たすべき手順に則っていない)ものを「疑似科学/ニセ科学」と呼びます。

 なぜそんなものが発生するのか?

 なぜそんなものがはびこるのか?

 科学者である我々はそれとどうつきあっていくべきなのか?
などについて考えていきましょう。

「水からの伝言」

 わかりやすい疑似科学、ニセ科学の例として、小学校などにも浸透してしまった「水からの伝言」という話をしましょう。これは「水を冷やして凍らせる」という単純な実験の話なのですが、

水に『ありがとう』などの『きれいな言葉』を掛けると、きれいな結晶ができる。

逆に『ばかやろう』などの『きたない言葉』を掛けると、きたない結晶ができる。

などという主張がされ、だからきれいな言葉を使いましょうねという形で小学校の道徳の授業で使われているようです。
聞いたことありますか?
 このような主張をしている人の本『水からの伝言』(江本勝/波動教育社)にはそれぞれの「きれいな結晶」や「きたない結晶」のたくさんの写真が掲載されています。
 声を掛けなくても『ありがとう』と書いた紙を水を入れた容器に貼っておくだけでも効果があるそうです。
 クラシック音楽を聞かせるときれいな結晶が、ヘヴィメタを聞かせるときたない結晶ができると言っている人もいる。

 実験してそうなったというのなら、科学的ではないか。

と、皆さんは思いますか?

前回話した「利口な馬ハンス」を思い出してくださいね。
 科学的でないとしても、道徳の授業なんだからいいじゃないか。

 「きれいな言葉を使おう」というのは間違ってないじゃないか。

という人もいますが、皆さんはどう 思いますか?

 「嘘」を道徳の授業で使うってどうなの?

 クラシックとヘヴィメタルなど、価値観の相違まで良し悪しを判断する(しかも、水が!)のはいいこと?
 残念ながら、このような間違った「実験結果」をさも本当にあるかのごとく語るという小学校の(主に道徳の)授業が存在しているのは事実です。
 私も遭遇した例があるのですが、多くの場合、このような授業を行う先生は、

  • 正しい実験だと思っている。
  • そもそも正しいかどうかなんて気にしてない。


などの場合があるようです。

「××は間違っている」と主張する人たち

 「相対論は間違っている」と主張する本が、近年何冊も出ています。相対性理論というのは、「走っていると時間が遅れる」(ウラシマ効果)とか「光速は走りながら測定しても、誰でも同じである」(光速不変の原理)とか、一般常識からは離れている(しかし、もちろん結果は正しい)内容を含んでいます。そのためか、「そんな常識ハズレな理論は間違いだろう」という批判を受けやすいようなのです。
 一つ注意しておきますが、科学上の学説を疑うということ自体は、全く問題がありません。現在でも「相対論がほんとに正しいのか?」という研究をしている物理学者はいくらでもいます。相対論が発表された当時は、特に多くの批判がありました。そういう学者たちとこれらの本の著者たちとは、科学的態度の真摯さが全く違うのです。
 相対論の証拠の一つとされている実験に、光速不変の原理を直接測定で示した、「マイケルソン・モーレーの実験」があります。これは19世紀末に行われた、かなり古い実験です。なので、「当時の実験の精度ではわからなかったらしいが、光速は変化する。よってアインシュタインの相対論はまちがいだ」と書いている本があります。どうやらこの著者は、マイケルソン・モーレーの実験以来、光速の変化の実験を誰もしてないと思っているようなのです。実際には、最近の学会誌でも光速不変の問題についての実験の報告はちょいちょい載っています。もちろん、マイケルソン・モーレーの時代より遥かに高い精度で実験が行なわれ、未だ相対論を否定する結果は出ていません。
 このように、自分が批判している対象について無知である、という点は他の批判者にも共通している特徴です。たとえば「アインシュタインの相対性理論は間違っていた」という(そのまんまの)タイトルの本の著者である窪田登司は、「光速不変の原理を検証するには、マイケルソン・モーレーの実験のように球面波を使ったのではだめで、レーザーのような直進するビームを使ってやらなくてはだめだ」ということを述べています。しかし、レーザーによる実験はとっくに(1964年に!)行われていて、もちろん結果は相対論を指示するものだったのです。
 同様に多いのが「進化論は間違っている」と主張する人たちです。もちろん、(相対論の場合も同様ですが)十分な根拠を持って主張するのなら何も問題はないのですが、やはり進化論を誤解して、「進化論」を批判しているのではなく「自分が誤解して作り上げた進化論もどき」を批判している場合が多いようです。

血液型人間学の例

 一般に広く浸透している疑似科学の例として、血液型人間学というものがあります。血液型によって人間の性格が分類できるというもので、A型の人は几帳面、B型の人はマイペース、O型の人はおおらか、AB型の人は二重人格などと言われます。このような血液型によって性格分類ができるという話は、1971年に能見正比古が「血液型でわかる相性」という本で世間に広めてから、日本ではなかば常識のように言われています。
これって疑似科学?
学者は調べもしないで嘘だと言っているんじゃないの?

 血液型と性格に相関関係の歴史を見てみると、、、

  • 昭和2年に古川竹二(女子師範学校の教授)が論文で発表
    これは肯定的な結果が出ていました。つまり、学者による血液型人間学は、最初は肯定から始まったのです。
  • 同じ研究方法で他の研究者や公的機関が調査
    データが集まるに従って「血液型と人格には何の関係もない」という結果に(その中には、部隊の編成に血液型を考慮しようとした、軍も含まれています) 当時300以上の論文が書かれたと言いますから、「学者は調べもしないで否定する」という反論も間違いです。後に1980年代にも非常に多くのデータがとられていて、それでもまったく相関が出てこなかったのです。
 つまり、「調べもしないで嘘だと言っている」のではなく「調べたら間違いだった」という単純な話なのです。いまだに「血液型と性格に関係がある」と言っている人は「調べた結果を知らない/知っていてあえて無視している」ということになります。

なぜ学者が行うと出てこない相関が、あるように見えるのか?

  • 少なすぎるデータで判断する「プロ野球のホームラン数ベスト10にはO型とB型が多い」というたぐいです。たった10人では意味がありません。日本人の4割がA型で、この10人の中にA型は一人しかいません。こうなる確率は1.6%とたしかに小さいのですが、100ぐらいのいろんな分野のベスト10を調査すれば、一回ぐらいはこういうデータが出てきて当然だと言えます(これは次の項目とも関係します)。
  • 都合のいいデータだけ示すたとえば「政治家はO型が多い」という話を、衆議院議員のデータから判断している本があります。ところが、その当時の参議院議員ではそんなことはありません(時代が変われば、衆議院議員でもそんなデータは出ません)。たくさんデータを集めれば、自分の説に都合のいいデータと都合の悪いデータが出てきます。悪いデータは本に書かなければいいのだから、楽なものです。
  • 片寄ったデータで判断する同じ本の著者ですが、前にだした本のアンケートハガキの結果から、「こんなに私の理論は当たっている」と次の本に書いています。しかし、本を読んでアンケートハガキを送ってきたということはその本に好意的な読者である場合が多いので、公正なデータとは言えません。

そんなこと言うけど、実際当たっているよ

と考える人もいるかと思います。
 それはそうです。当たっている場合もあるに違いありません。どの程度当たっているか、また、本来どの程度当たるべきなのか、数字をあげて検証しないと、一人一人が「当たってるような気がする」とか「当たってないような気がする」と言っているだけでは意味がないのです。もともと人間はジンクスや占いなどに関しては当たっていた(自分の考えに即している)ことはよく覚え、当たっていなかった(自分の考えに即してなかった)ことは忘れる傾向があります。
 古川氏の論文では、数字をあげてちゃんと根拠を示し「血液型と性格には相関がありそうだ」と結論していました。数字をあげて評価したことがこれに続く研究者の研究を容易にして、逆に数字的に否定しやすくなったということになります。結果として否定されたのは古川氏にとっては残念でしょうが、このような真面目な研究態度が、科学であるためは大事なのです。
 心理学者は、血液型が性格と関係ないことがわかってしまったので、次に「なぜ関係ないのにみんなが信じてしまうのか」ということを研究しています。その一人の大村政男は「FBI効果」という言葉で現象を説明しています。
  • F:フリーサイズ「ある血液型の特徴はこれこれである」という記述が実は誰にでも当てはまってしまうようなものであるため、読んだ人が「当たった」と思ってしまう。実はこれはバーナム効果と呼ばれていて、血液型に限らず、あらゆる性格診断で起ることなのだそうです。

  • B:ラベリング「これがA型の特徴です」と言われてからA型の人を観察すると、そのラベルに引っ張られてその人を判断してしまう。大村はこれを確かめるために、各血液型の特徴をわざと間違えて人に教えて、どう回答するかを調べたところ、確かに人がこれにだまされる(B型の特徴をA型の性格だと教えてからA型の人を観察させると、その特徴を持っていると証言する)ことがわかりました。

  • I:インプリンティング最初に「当たっている」と思うと、その経験が刷り込まれ、そういう行動を取ってしまう。つまり「自分がそういう性格だと気づいてしまった」という状況。能見氏の本を読んでアンケートハガキを出すような人はこの効果にはまっている可能性大ということになります。
 しかしこれらFBI効果よりももっと重要なのは、結局のところ「性格を簡単に分類する手段が欲しい」という欲求ではないかと思われます。「真面目に人物を検討して考えるよりも、楽をしよう」という気持があるから、「こうやると簡単ですよ」という`理論'(理論らしきもの)が与えられると、無批判に信じてしまう。
 単に占いの一種として、座興の一つとして「血液型」を話題にするのなら問題はありません。たとえば星占いだって非科学的ですが、「所詮占いなんて、あたるも八卦当たらぬも八卦」という考え方がありますから、被害もそうありません。真面目に人物を検討して考えるよりも、楽をしようという気持も、その場限りのお話に使うのなら、それでいいでしょう(TV番組や雑誌などでよくある「心理テスト」の類いなどもそうですね)。しかし、「血液型による性格分類は科学的である」と思い込んで、それを企業の採用や職場の配置(古川理論の時にも、軍がそういうことをしようとしました)にまで血液型を考慮するなどという実例もあり、これなどは人種差別と同様の非科学的根拠に基づく差別であると言えます。

疑似科学の常套手段

 この他にも、いろいろな疑似科学がこの世には存在しています。それらの中に共通して現れる構造を紹介します。
  • データを捏造する、あるいは隠蔽する 例:「16世紀の地図に南極大陸が描かれている」(実は南米の海岸線が実際より長く描かれているだけ)
  • 自分に都合の悪いデータは無視する 例:「ルルドの泉で病気が治った」 (治らなかった例の方が圧倒的に多い)
  • 相関関係と因果関係を混同する 例:「ハゲの人はガンで死ぬ確率が高い」(ハゲは高齢な人に多いんだから当たり前)
  • 偏見と予断で事実をゆがめる 例:「ナスカの地上絵は地上からは描けない」(ロープを使うと簡単に描ける)
  • 反証不可能な、あいまいな議論を行う 例:「ノストラダムスの予言」(解釈のしかたでどうにでもなる)
  • 偶然の産物を偶然でないかのごとく提出する 例:「聖書の文字を並べ替えると予言が現れる」
  • 科学者は権威主義であると批判する 科学者から反論されるとたいてい、これです。

疑似科学は何が問題か

多少間違ったことを言ってても別に害はないんじゃないの?
と、思う人もいるかもしれません。しかし…
 正しくない疑似科学的方法を信奉することは、正しい方法を遠ざけてしまいます。
 ホメオパシーという疑似科学的療法を信じていた助産師が赤ちゃんに(本来投与することが義務付けられている)ビタミンKの替わりにその効果があるとされる「レメディ」(ホメオパシーでは薬の役割をするもの)を飲ませたため、その赤ちゃんがビタミンK欠乏症にかかって死亡するという事件があった。
 この他にも疑似科学が「誤った方法」を勧めるために正しい策が取られなくなるという問題は多く発生している(特に医療関係はその被害が大変な事態となる可能性が高いので要注意)。
 疑似科学が「正しい情報」を得るための障害になっていることは見過ごしていいことではありません。
 念のため最後にもう一言。このような疑似科学は、間違っているから悪いという点だけが問題なのではありません(そりゃ、間違ってないに越したことはないけど、科学上の学説なんて、後でみたら間違っていたなんてことはいくらでもある)。
 問題はその論理に上で述べたような欠陥があることです。正しく科学するためには、論理的に正しく、真面目で地道な研究が必要です。その地道さを放棄して楽に走ることが、疑似科学へ落ち込む第一歩だと思います。

今日のショートレポート

以下のうち、どちらか一つ。

(A) 将来あなたの子供が小学校で「水からの伝言」の話を聞いて、すっかり信じてしまったとします。あなたはどうしますか?

(B) 以下の疑似科学的発言のどちらかに反論してください。
UFOが地球に飛来していないという証拠はない---したがってUFOは存在している。

永久機関ができないと科学者は言うが、それは無料のエネルギーを作られては困る電力会社の陰謀である。

今後の授業計画

前野担当分は今回で終了です。成績はショートレポートの提出状況でつけます。

10月30日以降は田原先生の担当回になります。