以下は、工学部の教員時代に、一般の学生さんに物理(を学ぶこと)の雰囲気を 少しでもお伝えしようと思い、私自身の学問的生い立ちを記したものです。  ---2016年6月20日
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物理を学ぶ楽しみ

自分が職業としてなぜ物理学を選んだのかなんて、これまで深く考えたことはありませんでした。 しかし、最近、工学部で広く教育活動を行う立場になって、自分の学生時代のことを良く思い出す ようになりました。そこで、これから本格的に物理を勉強しようとしている学生さんに多少の プラスもあるかとも思い、自分の経験を掻い摘んだ小文を記しておくことにします。

私は、生まれは東京ですが、その後神奈川県で長く過ごしまして、中学でバスケ部、高校では ラグビー部に所属し、自分で言うのもなんですが、ごく普通の学生だったと思います。 高校は地元の進学校に進んだものの、勉強は試験直前以外はやらず、スポーツに明け暮れる毎日でした。

私が最初に物理に興味をもったのは、そんな高校時代のことでした。 といっても、高校の物理の授業が面白かったというわけではありません。 今思い出すと、たぶんSF好きが高じてのことだったと思いますが、宇宙や物質について、 「宇宙の果てはどうなっているのだろう」とか「ものとはそもそも何だろう」とか、 少し哲学的な疑問に変わってきたのが始まりだったと思います。 そのとき、偶然父の本棚に、ジョージ・ガモフの「1,2,3・・・無限大」という 奇妙なタイトルの本を見つけ、夢中になって読んだことを覚えています。 そこには、巨大な宇宙の果てから極微の原子の領域までを統一的に貫く 理屈があることや、それが素朴な数学の問題と深く関係しているということが、 分かりやすい喩え話とともに書かれていました。これが「物理学」との 最初の出会いでした。

こうして、大学で物理学科に入り、物理をまじめに勉強し始めたわけ ですが、かといって自分の能力に自信があったわけではありません。 大学の友人は優秀でしたし、 授業についていくのがやっとだったことを記憶しています。そんななかで、 自分の「やる気」を維持できたことには、2つのポイントがあったと思います。 まず様々な分野の本を濫読したこと。これは、今思うと、いわば 精神安定剤だったような気がします。様々な価値観に触れることで、 自分の軸足がしっかりし、逆に「なぜ物理を学ぶか」ということを考える ヒントにもなりました。2番目のポイントは、人はどうでもいい ので自分流に物理を理解するよう努めたこと。勉強はやはり しんどいのですが、一方、自分で主体的に勉強して分かっていくこと には登山にも似た喜びがあります。そしてそれは、人より遅かろうと 早かろうと関係がないと思います。

大学での勉強で最も印象的だったのはやはり量子力学です。 3年生のころ、授業のない曜日は一日図書館に篭って量子力学と 格闘した思い出があります。そうしたなかで、シュレディンガー方程式によって 様々な観測結果がきれいに説明できてしまうことには大変感心しましたが、 一方なぜシュレディンガー方程式を解けば物事が分かるのか ということは、ずっとモヤモヤしていました。 なんとなく量子力学の論理構造にチグハグな印象を持っていたのです。 この点は、全く自明な出発点の上に 築かれている古典力学とは対照的です。そんなとき、神田の古本屋街で ディラックの「量子力学」に出会って、目からウロコが落ちました。 この本は、最小限の出発点から、独自の 視点で量子力学を作り直したもので、一定の奇妙な規則を受け入れれば、 そこから先は常識的な数学によって、一本道で実り多い結果が導かれること を示していました。依然として波動関数の意味はあいまいですが、 一体何が問題かということ自体は理解できたような気がしました。

また統計力学という分野があることを大学に入って知りました。 様々なマクロな物体の熱力学法則が、統計力学によって、ミクロな粒子の 集団的な振舞いとして見事に基礎付けられていることを学ぶことはとても 楽しい経験でした。さらに、量子力学と統計力学を組み合わせることで、 固体中のイオンや電子なども物理学の対象として扱えるようになり、 それによって科学技術の飛躍的進歩がもたらされたことを学びました。 物理には、確かに物好きの数学遊びというような面もあるのですが、 それが紆余曲折を経て現実社会に重大な影響を与えるというのは 凄いことだと感じました。

こうして大学で物理を勉強して分かったこと、それを一言で表現すれば、 この世界が少数の物理法則と数学的論理により完ぺきに支配されていること です。ガリレオは「自然の書物は数学で書かれている」との言葉を遺していますが、 まさに現代物理学がその言葉通りの発展を遂げてきたわけです。

さて、「物理学」は、文字通り、物の運動や性質を探求する学問の総称で、 大きく分けると、宇宙の成り立ちを研究する「宇宙物理」、物質を細分化して、 原子や分子よりもさらに小さなところまで探求する「素粒子物理」、 そして素粒子が集まってできた塊(=物)がどういう性質を持っているかを 研究する「物性物理」の3分野になります。どの分野も、その基礎には 人間の英知が凝縮しており、また最先端の研究は大変エキサイティングです。 私が後に専門として選んだのは物性物理で、 現在は主に固体中の電子について、大発見を夢見て日夜研究に 励んでいます。

以上が、私が如何にして物理にのめり込んだかということの大雑把な経緯です。 最近、「物理離れ」という言葉をよく耳にします。確かに、物理の勉強は簡単 ではありませんが、この小文でお伝えしたかったこと、それは、純粋な興味と 少しの頑張りで、誰でも必ず物理を学ぶ楽しさを味わうことができることです。 私は「物理離れ」には多分に誤解や先入観があるのだと思います。 学生の皆さんに、この小文を通じて、少しだけ物理学に関心をもってもらえたら幸いです。

---2011年2月15日記