初等量子力学2006年度講義録第11回

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 前回のまとめ。まず、古典力学でのエネルギーと運動量と、量子力学でのエ ネルギーと運動量には、

1/2 mv2 +V = hν
mv = h/λ

という式が成立していた。

 物質は波なので、「波動関数」が、


exp(2πi( x/λ - νt))

という「平面波解」を持つとしよう。こうなる理由は、そもそも波長λの波が

sin(2π(x/λ))

で表現され、速さvで進むならば、x → x-vtと平行移動させられるので、


sin(2πi((x-vt)/λ))


と書き直される。一方v/λ = νを使って、さらに複素化すれば、

exp(2πi( x/λ - νt))

となるわけである。

(授業後に出た質問)x→x-vtということは、ガリレイ変換ですね。ローレンツ変換じゃない のですか?
 ここの計算は全部非相対論的だから。ちなみにローレンツ変換したとしたら、γ(x-vt)になるから、ちょうど波長がローレンツ短縮されるというところ も計算で出るよ。

 この解の前では、



p
−ihbar
∂x



E
  ihbar
∂t


という置き換えができる(あくまで置き換えであって、=ではない)。

 これを使って、古典力学での関係式


E = p2/2m +V =E

を、



ihbar
∂t
ψ =

( hbar2
2m

( 2
∂x2
+ 2
∂y2
+ 2
∂z2
) +V(x) )
ψ

と、置き直すことでシュレーディンガー方程式ができあがる。

 この式の作り方はいいかげんに見えるかもしれないが、実際にはシュレーディンガーは解析力学のハミルトン・ヤコビの方程式との関連などを使って式を組み 立てている。また、式を作ってはいおしまいではなく、実際にこの式を使って水素原子の場合の問題を解いてみせてボーア模型と同じ結果が出ることを確認して いる。つまり現実をうまく記述できるという点でよい方程式であることを確認しているのである。実際、シュレーディンガー方程式から導かれる物理現象は数多 い。


 光と物質粒子(たとえば電子)の、粒子的・波動的描像での表現をまとめる と以下の表のようになる。

粒子的描像 波動的描像
光子(エネルギーhν) 電場、磁場(E,H)
物質粒子(エネルギー1/2mv2+V) 波動関数(ψ)

波動関数ψと粒子の数密度の間には、
 波動関数の絶対値の自乗|ψ|2 = (ψの実部)2 +(ψの虚部)2 ∝ (粒子の数密度)
のような関係が成立する。ψは正にも負にも、複素数にもなるので、数密度と 直接関係しない。


 ここで、大事なことを言っておく。量子力学での力学変数、つまり「物体がどんな運動をしているかを示す変数」はψであって、xやpではない。ψがどのよ うに時間変化するか、ということが力学である。エネルギーや運動量が演算子になってしまうことを不思議がる人がいるが、量子力学ではψが全てであり、物体 のエネルギーとか運動量とかの性質は、ψの中に隠れていると思っていい。つまり、エネルギーや運動量はψが持っている性質の一部なのである。
 たとえば−i
hbar∂/∂xという演算子は、ψの中から運動量という性質を取りだしてくれる演算子なのである。

 波動関数の絶対値の自乗|ψ|2も、「粒子がたくさんいて、そのたくさんいる粒子の密度を表すもの」と考えるのは実験にそぐわな い。粒子が一個しか存在しない場合でも、|ψ|2にはちゃんと物理的意味があるのである。その証拠に、実際に一個の粒子を見つけよ うとすると、どこか一点に見つかる(ヤングの実験であれば、スクリーンのどこか一カ所だけが感光する)。そして波動関数はその粒子が見つかる確率を表して いるのである。ヤングの実験において「明」となるポイントは見つかる確率が高い(波動関数の絶対値の自乗が大きい)。「暗」となるポイントは見つかる確率 が低い(波動関数の絶対値の自乗が小さい)。光に対するヤングの実験の場合の波動関数に対応するのは電場と磁場である。つまり、光を電磁波と考えた時、電 場と磁場が強くなっているところは「光子が到着する確率が高い場所」なのである。
 シュレーディンガー本人は、電子などの粒子が実際に広がっていて、|ψ|2 は密度そのものだと考えたかったらしい。ゆえに彼は確率密度という解釈には反対していた。しかし、ψを実体のともなった密度のようなものだとすると、波を 分割することで「電子1/2 個」が作れてしまうことになるが、そんな現象は決しておきない。電子を金属結晶で散乱させるような場合を考えてシュレーディンガー方程式を解いてψを求め たとしよう。たくさんの電子で実験すると、確かに|ψ|2が電子がやってくる数に比例している。では一個の電子を散乱させた時に何 が起こるのかというと、別に一個の電子が分割されて届くわけではなく、|ψ|2が0でないようなどこか一カ所に一個の電子が到着す る。
 たとえ波動関数が二つに分かれたとしても、観測してみると電子はどちらか片方で一個見つかるのである。つまり、「波動関数は、たくさんある粒子のうち何 個 がここにあるかを表している」という考え方は正しくない。非常に気持の悪い解決法なのではあるが、「波動関数はその絶対値の自乗ψ*ψ が、一個の粒子が見つかる確率を表しているような関数である」と考えなくてはならない。これを確率解釈と言う。確率解釈はボルンによって始められて、ボー アら、コペンハ−ゲンにいた物理学者たちによって支持されて広まったため、「コペンハーゲン解釈」とも呼ばれる。
 確率解釈はそれだけでも(古典力学的な常識を持った人間には)気持ち悪い印象を残すのだが、この解釈を容認するためには、もっと気持ち悪い印象を残す物 理 現象を認めねばならない。ここで、ヤングの実験で「スクリーンにあたるまでは光子の波動関数は広がっており、あたると瞬時に一点のみに光子が表れる」と解 釈しなければならなかったことを思い出そう。このように何か(観測器など)に出会うことで波動関数の広がりが小さくなることを「波動関数の収縮」 と言う。この意味でも、|ψ|2が電子の密度だとすることは具合が悪い。電子が1点に届いた瞬間に広がっていた電子が(超光速 で!)収縮することになってしまう。この収縮に関してはシュレーディンガー方程式では計算できない。というより、いかなるメカニズムでこの収縮が起こるの か、結論はまだ出ていない。
 波動関数を計算しただけでは、「粒子がどこにいるか」はわからない。これが本質的にわからない(わかりようがない)のか、それとも本当はわかるのにただ 量 子力学が不完全であるためにわからないのか、ということはしばしば論争の種になっている。「ほんとうは粒子がどこにいるのかは決定しているのだが、量子力 学では計算できない」という考え方は「隠れた変数の理論」と呼ばれる。その「隠れた変数」を知ればちゃんと粒子がどこにいるのかがわかるはずだ、という考 え方である。
 たとえば波動関数は粒子を導く場(guiding field)であって、粒子はその中を|ψ|2に比例する確率で動いていく、 と いう考え方などがある。これは少なくとも「粒子が一点にいる」という点に関しては感覚的には納得しやすい考えなのだが、残念なことに「隠れた変数」の存在 は実験的には否定4されており、「粒 子がどこにいるのかは本質的に決定不可能」と考えるほかなさそうである。これについては詳しい話は難しいので述べない5

 これを確認するための式がベルの不等式で、「アスペの実験」というのが確 認の実験の中でもっとも有名なもの。
 以上のように、波動関数の絶対値の自乗ψ*ψがその場所に粒子がやってくる確率に比例するだろうと考えられる。「比例」ではなく 厳 密に「確率密度」にするためには、



考えている全空間 
dx ψ* ψ = 1
(7.18)
となるようにしておけばよい(これはすなわち「全確率が1」ということ)。このようにすることを規格化(normalization)と言う。具体的に は、もし



考えている全空間 
dx ψ* ψ = N
(7.19)
となったならば、
ψ = 1
√N
ψ
(7.20)
として新しいψを作ればよい。

 ψを作る意味がよくわかんないんですが。
 古い方のψだと、全確率を計算しても1じゃあないんです。くじ引きで、当 たる確率50%、はずれる確率70%とか言われたら「は?」って思うんでしょ。全部足して1つまり100%になるようにしないと、確率とは言えない。
 じゃあ、実際の計算ではどっちを使うんですか?
 もちろん、ψの方。でないと正しい計算になりません。

 規格化しても、時間がたったらずれたりしないんですか?
 それはいい質問だ!
 実はシュレーディンガー方程式を使うと、∫ψ
*ψdxが定数だということを証明できるんですよ。だからこそこれを確率と定義すること ができるわけです。
 量子力学では、波動関数が与えられても、「粒子がどこにいるか」は判定できない。「このあたりにいる確率は80%」というような曖昧な予測しかできない こ とになる。そのような予測ができないのは「観測機器が悪いから」とか「誤差が入ってくるから」というような二次的な理由からではない。すでに何度か述べた ように、物質波はいろんな波の重ね合わせでできている。つまりもともと波動関数は「いろんな状態の重ね合わせ」であり、何かを観測した時にその状態のうち 特定のものが選ばれることになる。そして、どの状態が選ばれるのかを決める方法がないのである。
 ここで、もう一度まとめておく。量子力学では古典力学のように「粒子はどこにいる」と断言することができないのだが、その理由は二つある。「波動関数で 表 される量子状態では、粒子の位置や運動量が確定していない」という点と、「観測した時にいろんな波動関数の中から一つの状態が確率的に選ばれる」という点 である。この二つは違う種類のものであることは理解しておかなくてはいけない。特に後者の方が問題として大きい。これは量子力学ではある現象が起こる確率 しか計算できないということを意味するからである(波動関数が収縮する前に「どこに収縮するか」を予言することは不可能なのである)。
 このように量子力学で計算できるのが確率だけであることには昔から批判が多かった。アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という 言 葉は有名である。しかし、いろんな実験から確率解釈が妥当であること、少なくとも実験結果を説明するには十分であることは確認されている6



下のグラフで表されるような波動関数がある(実数部分だけで虚数部分はない)。
[問い7-1] 規格化せよ。
[問い7-2] 確率密度ψ*ψのグラフの概形を書 け。




 このように量子力学というのは、ある意味我々の常識からは考えられないような現象を扱うものである。だが、このような「一般常識が通用しない」が「しか し真実」であったことは科学においてはこれまでもいくらでもある。たとえば「太陽が地球の回りを回っている」という常識は地動説にとってかわったし、「物 体が運動している時はその物体に力が働いている」という常識は慣性の法則によって間違いであることがわかった。 
 我々のすんでいる世界は、我々が目で見て直感的に感じるとおりに動いているとは限らない。「地球が動いている」と悟ったコペルニクスのように、慣性の法 則 を発見したガリレイのように、世界を注意深く調べることができる者だけが、直感によって覆い隠されていた真実を見抜くことができる。量子力学を勉強する時 には、量子力学の常識破りな部分が、どのように注意深く組み立てられてきたものであるかを学びとっていかなくてはならない。「誰かがこう言ったから」「教 科書にそう書いてあるから」ではなく、どのような過程でこの不思議な量子力学ができあがるにいたったか、そして物理学者達の苦労の末にできあがった量子力 学というものがどのようにこの世界を記述しているのか、を自分で納得しながら学習していって欲しい。量子力学はなかなか納得できない、不思議な学問である が、だからこそしっかり理解できた時の喜びは大きいと思う。

 あと、「波動関数というのが確率しかわからないようなものなら、そんなも のを計算して何になるのか」という疑問を持つ人が多いが、実際、シュレーディンガー方程式や波動関数からわかることは多い。水素原子などのエネルギーもわ かるし、なぜ水素が水素分子を作るのか、金属は電流を流し絶縁体は流さないのはなぜなのか、鉄はなぜ磁石になるのか、そういう性質はすべて量子力学で説明 されるのである。

7.3  シュレーディンガーの猫




 波動関数の収縮の問題に関して、「シュレーディンガーの猫」という有名な話がある。 シュレーディンガーが、上のような「観測するまでは重ね合わせ状態」 と いう考え方を批判するために持ち出した、以下のような例え話である(シュレーディンガー自身は量子力学を確率的に解釈することを嫌っていた)。
 放射性物質が崩壊すると毒ガスが出て、中にいる猫が死ぬような仕掛けのしてある箱があったとする。放射性物質の崩壊とい う のも量子力学的現象で崩壊がいつ起るかは確率的にしか予言できない。だから、放射性物質の状態は(観測する前は)「まだ崩壊してない」と「すでに崩壊し た」の二つの状態の重ね合わせになっている。しかし、「まだ崩壊していない」は猫の生と、「崩壊した」は猫の死と結び付いている。だから、観測する前は 「まだ崩壊していない」と「崩壊した」のどちらにあるかわからない-つまり二つの状態の重ね合わせになっている-という状態を認めるのであれば、同様に、 観測する前は猫が「生」と「死」の二つの状態にどちらにあるのかわからない-つまり二つの状態の重ね合わせになっている-という状態の存在も認めなくては ならない。 しかし我々は「生」と「死」の二つの混ざりあった状態の猫なんて、見たことはない…。
 この疑問をどう解決するのかは難しい問題で、考え始めると夜も眠れないほどに「はまってしまう」問題である。それゆえとりあえずはあまり深く考えない方 が 精神衛生上はいいのだが、量子力学において「状態の重ね合わせ」という概念が非常に重要であり、ミクロな話をする時にはこのような考え方を避けることはで きないということは理解しておいて欲しい。
 量子力学の標準的解釈であるコペンハーゲン解釈(または確率解釈)においては、観測することによって波動関数は重ね合わせの状態からいっきにどれか一つ の 状態へと収縮すると考える。そして、どの状態に収縮するかの確率がψ*ψ によって表されると考える。
 シュレーディンガーの猫の話の焦点は、『波動関数の収縮はいつ起こるのか』という疑問である。これに対する答えとして、一つ有り得るのは、「測定器が放 射 性物質の崩壊を測定した時点でもう波動関数は収縮している」という考えかたである。この考えかたならば、生きた猫と死んだ猫の重ね合わせなどを考えなくて もすむ。しかし、「ではいったい何が波動関数が収縮するかしないかを分ける境界なのか?」という点はあいまいである。
 もう一つの考え方はウィグナーらによる「人間の意識に到達した時に波動関数は収縮する」という考え方である。人間が感知していない時に波動関数が収縮し て いようがしてしまいがある意味「知ったことではない」 と考えるとこの考え方には一理あるが、人間の意識など所詮は一連の化学反応ではないかという立場に立つと、「人間の意識が物理現象に とってそんなに重要だと考えるのは傲慢ではないか」とも思われる。
 また一つの考えかたは、波動関数の収縮などを考えず、観測した後も「猫が死んだと観測する観測者」と「猫が生きていると観測する観測者」の重ね合わせが で きていると考える。さらには観測者だけでなく、世界全体を重なり合ってたくさんあると考えてしまう。観測者がそれぞれ別の世界に存在しているので、各々の 観測者はけっして重ね合わせを見ない。この解釈では、ありとあらゆる世界が並列して(しかし、互いの間には何の干渉も相互作用もないままに)存在している ことになる。これを多世界解釈と言う。
 もう一つの立場としては、確率で決まるようなものはどこにもなく、実際には粒子がどの場所にいるかは最初から決まっているという考えかたであるが、この 考 えかたで実験を説明するには、非常に複雑で、かつ不自然な相互作用があると考えなくてはいけないため、主流とはなっていない。
 大事なことは確率解釈でも多世界解釈でも、計算の結果出てくる答は変化しないということである。たてるべきシュレーディンガー方程式も同じであるし、結 果 を見て「なるほど、50%の確率でこの粒子は崩壊しているな」と判断するところも同じである。
 したがって、実用の面からすれば、どの解釈を取るべきかということに悩む必要は、(一応)ない。そこでこの講義では今後はどの解釈を取るべきかという話 は いっさいしないつもり(基本的にはもっともスタンダードな確率解釈の線にそって説明する)なので、興味のある人はいろんな本を読んでみること7
 波動関数がどのように収縮するのか、そのメカニズムは何なのかということも古くから論争の種であって、いまだ決着がついているとは言えない状況である。 と りあえずその難しい部分に踏み込むのはやめて、波動関数を確率と解釈する枠組みで考えて、シュレーディンガー方程式がどのような物理を記述することになる のか、それを考えていこう。


 時間がないので、以下の7.4節は飛ばします。読んでおいてください。

7.4  なぜ波動関数ψは複素数なのか?

 シュレーディンガー方程式の波動関数は、複素数であることが不可欠である。その理由を知るために、話を少し古典力学に戻す。
古典的なニュートン力学で、粒子の運動をどのように解いていたかを思い出そう。「運動を解く」とは、任意の時間における粒子の座標x(t)を求めることである。
 ニュートン力学の中心となる方程式は運動方程式
m
d2
x
 
(t)

dt2
=
f
 

(7.21)
である。xの2階微分がこの式によって決定されるので、この式を2回積分すれば、それよ り未来の全ての時間でのx(t)を計算することができる。そのためには初期値としてある 時刻でのx(t)と[(dx(t))/dt] を与える必要がある。
 古典力学のニュートン方程式は2階微分の方程式であるがゆえに、一つの座標x(t)に対して二つの初期条件が必要になった。古典力学でも、正準方程式は


dpi(t)
dt

=− ∂H
∂xi
,       dxi(t)
dt
= ∂H
∂pi


(7.22)
という1階微分方程式である。しかしこの場合は力学変数が座標と運動量の二つに増えていて、初期値はやはり、x(t),p(t)の二つについ て与える必要がある。
一方、量子力学では運動量pがド・ブロイの式によって波長λと関係付けられている。そし てこの波長というのは、ある瞬間の波の形から決まるものであるから、量子力学における運動量は、ある瞬間で定義されているものである。これは古典力学との 大きな違いである。多くの場合、古典力学の運動量は


p
 
(t)=mv(t)=
lim
∆t→0 

m(
x
 
(t+∆t)−
x
 
(t))

∆t

(7.23)
と表される。p(t)は∆tという(短い)時間間隔の間での引き算で定義されている。



力学変数 基本方程式 初期条件
古典力学
(ニュートン)
xi(t) m [( d2 xi)/dt]=fi xi(t=0),[(dxi)/dt](t=0)
古典力学
(ハミルトン)
xi(t),pi(t) [(dpi(t))/dt]=−[∂H/(∂xi)], [(dxi(t))/dt]=[∂H/(∂pi)] xi(t=0),pi(t=0)
量子力学 ψ(x,t) i(h/2p) [∂ψ(x,t)/∂t] = H ψ ψ(x, t=0)


シュレーディンガー方程式は1階微分方程式なので、ψ(x,t)の中には、x,pに対応する量が両方入っ ていなくてはいけない。
さて、ではψが複素数でなくてはならない理由を説明しよう。ψを実数で表すことができたとする。簡単のため1次元問題で考えると、xの正方向へ進行する波 は
Asin (
( x
λ
−νt ) )
(7.24)
のように書けるだろう。逆方向へ進行する波の式は、上の式でx→ −xという置き換えをやればよいので、
Bsin ( ( x
λ
−νt ) )
(7.25)
と書けるだろう。
ところがこの二つ、(7.24)と(7.25)は、t=0にし てしまう とどちらも
Asin ( x
λ
) と Bsin ( −2π x
λ
)
(7.26)
となって区別がなくなってしまう。一見して違うように見えるかもしれないが、任意定数であるA,B,α,βを適当に選ぶとこの二つは同じものになる(たと えばB=−Aとしてα = −βにしてもよいし、A=Bにしてα = β+πとしてもよい)。
つまり、実数の波で考えると、初期状態の中に波の進行方向という情報が入らなくなってしまうのである。複素数であれば、
Ae2πi([x/λ]−νt)+α      と      Be2πi(−[x/λ]−νt)+β
(7.27)
はt=0にしても、
Ae2πi[x/λ]+α      および      Be−2πi[x/λ]+β
(7.28)
というふうに違いが出る。つまり、初期値(t=0での瞬間の値)の中に「運動量の向き」という情報が含まれるようにするためには、複素数であることが必要 なのである。
e−2πiνtという形の式になっているので、ある一点に着目すると、波の位相は常に減少していく。よって上の図のように実部と虚 部が変化する(たとえば実部が最大値(プラス)を迎えた後、虚部が最小値(マイナス)を迎える)ためには、波がどっち向きに動かなくてはいけないか、と考 えれば波の進む向きがわかる。
 ここで、 Ae2πi( ±[x/λ]x+νt )のような形の波は考えなかったが、これはマイナスのエネルギーを持っているこ と に対応するので、物理的には出てこない。
 電気回路の問題で交流を考える時にもI0cosωt→ I0 eiωtと拡張して 電 流を複素数化して計算することがあったが、あれはあくまで計算の便法であり、付け加えられた虚数部iI0sinωtには物理的意味 はない。しかし量子力学での波動関数の虚数部は、立派な物理的意味がある。
 なお、正確には、波の方向を表すものが波動関数の中に入ってくるようになってさえいれば、波動関数が複素数である必要はない。しかし、実数1成分の場で は 波の方向を表すものは作れない。たとえば電磁波は実数の波であるが、常に電場と磁場という二つの場がセットになって出てきており、波の進む方向はHの方向として求めることが できる。電磁波のうちある一瞬の電場部分だけ(あるいはある一瞬の磁場部分だけ)を見たのでは波の進む方向はわからない。電場と磁場の両方を見ると、「電 場→磁場」と右ネジを回した時にネジの進む向きが電磁波の方向であるとわかる。
 つまり波の進行を表すためには、複素数というよりは実数2成分の自由度が必要なのである。波動関数も、複素数で書くのがどうしても嫌なら、実数2成分の 関 数を使って表すこともできる。ただしその場合、運動量は行列で表されることになって計算がややこしくなる。



[問い7-3] 1次元の波動関数を、ψ(x,t)=ψR(x,t)+iψI(x, t)とおく。ψRIは各々実数関数である。このように分けて書いた時、シュレーディンガー方程式の実数 部分と虚数部分はそれぞれどのような方程式になるか。



7.5 演習問題

[演習問題7-1] 波動関数ψ(x,t)がψ(x,t)=φ(x)e−[i/((h/2p) )]Etと書ける時、φ(x) が満たすべき方程式を求めよ。この方程式は「定常状態のシュレーディンガー方程式」と呼ばれる。
[演習問題7-2] 波動関数ψ(x,t)がψ(x,t)=φ(x)e−[i/((h/2p) )]Etと書ける時は、ψ*ψが時間によらないこと を示せ。また、エネルギーの原点をずらしてもψ*ψには影響がないことを確かめよ。
[演習問題7-3] 以下のような関数で表される波動関数を考える(考える範囲は [−π,π]としよう)。それぞれを規格化し、確率密度のグラフの概形を書け。
  1. ψ(x)=sin(x)

  2. ψ(x)=einx (nは整数)


  3. ψ(x)
    =
    x     ( for  x ≥ 0)


    ψ(x)
    =
    −x   ( for  x < 0)

[演習問題7-4] 質量mを持つ自由粒子の波動関数がψ(x,t)=sinx f(t)で表されるとする。シュレーディンガー方程式を解いてf(t)を求めよ。
結果としてできあがるψ(x,t)は、右へ進行する波と左へ進行する波の重ね合わせであることを示せ。
[演習問題7-5] 質量mの物体が長さLの棒につながれ、原点に固定された棒のもう一方の端を中心に回転しているとする。この時のラグラン ジアンはL=1/2mL2 ([dθ/dt])2、ハミルト ニアンは[1/(2 mL2)](pθ)2である。波動関数をψ(θ)として、この 系に対する定常状態のシュレーディンガー方程式を作って解き、エネルギーの値を求めよ。θ = 0とθ = 2πで波動関数の値が同じにならなくてはいけないことに注意せよ。
[演習問題7-6] ある面(x=0)を境界として上(x > 0)ではポテンシャルがV(定数)、下(x < 0)ではポテンシャルが0になっているとする。つまり、上では

[ hbar2
2m

2
∂x2
+V ] ψ = ihbar
∂t
ψ
が、下では
hbar2
2m

2
∂x2
ψ = ihbar
∂t
ψ
が成立する。解の形をψ = Aei(kx−ωt)と仮定して方程式を解け。両方で振動数が等しい(エネルギーが保存する)場合を 考えると、上から下へ入射した時、波長はどのように変化するか。
[演習問題7-7] 平面波解ψ = Aei(kx−ωt)においては、ψ*ψが場所によらな いことを示せ。なぜこのようになるのかを、不確定性関係から説明せよ。
[演習問題7-8] 3次元の自由粒子のシュレーディンガー方程式は
hbar2
2m

(
2
∂x2
+ 2
∂y2
+ 2
∂z2
) ψ = ihbar
∂t
ψ
である。この式の解をψ = Aei(kx x+ky y + kz z −ωt)とした時、ωをkx,ky,kzで表せ。
[演習問題7-9] 1次元の自由粒子のシュレーディンガー方程式
hbar2
2m

2
∂x2
ψ = ihbar
∂t
ψ
にガリレイ変換(x′=x−vt,t′=t)を施し、ψの満たすべき(x′,t′を変数とした)方程式を作れ。この式は、元々の座標系から見て速度vで運 動しているような座標系での方程式である。
こうすると式の形が変わってしまうが、ここで波動関数を
ψ = ei(kx+εt)Ψ
とおき、k,εを適当に選べば、Ψの満たす方程式は元のシュレーディンガー方程式と全く同じ形になる。k,εを求めよ。

Footnotes:

4なお、厳密に言え ば、隠れた変数にあたる物理量が超光速で伝播すると考えれば、実験的に矛盾しない理論を作ることもできる。しかし、超光速で伝播するようなものを考えるの は非常に難しい。
5ここを勉強したい人 は、たとえば「量子力学論争」(フランコ・セレリ/共立出版)などを参照。
6量子力学の解釈は一 つではなく、他にも多世界解釈とか、ボームによるパイロット波による理論などもあるが、確率解釈に比べるとマイナーである。
7多世界解釈派の書い た読みものとしては「宇宙の究極理論は存在するか」(ドイッチェ)などが面白い。


お知らせ  

 この授業の試験は8/4(金)です。追試は8/11(金)に予定されてい ます。でも追試はしなくてすんだらその方がいいです。
 追試でも通らない人は、9/25(月)〜28(木)の補習を受けた後、 9/30(金)の追々試を受けてもらいます。


学生の感想・コメントから

 光子数は光の強さに依存するんですか?
 もちろんそうです。
 テイラーさんは2ヶ月かけて光子1個を使ったヤングの実験を行ったそうですが、本当にそんな ことができたのでしょうか?
 できたのです。ところで「光子1個」というのは「1回ごとに光子1個」で あって、2ヶ月の間にはたくさんの光子が来てますよ。

 シュレーディンガー方程式はなぜiがあるんですか? iとはなんですか?
 7.4節を読んでください。複素数にするのは書きやすくするためで、とに かく実数で書くと2成分の量がいるのです。

 猫の話は理解しにくかった(多数)。
 たぶんそうでしょうね。これに関してはいろいろな本があると思うので、勉 強してみてください。

 とても難しい (これも多数)。
 ここが量子力学で一番たいへんなハードルだと思います。でも、ここですぐ にわかろうとせず、具体例をやりながら「なるほど、波動関数というのはこんなふうに運動するものなのか」という点を確認していってください。やっているう ちにわかってくるものです。

 今更ですが、物質は波だと言うことは、原子なども全部波ですか。
 はいそうです。あたなもわたしも全部波。

 シュレーディンガーがハミルトン・ヤコビの式を使ってシュレーディンガー方程式を導いたやり 方はどんな本に載っていますか?
 たとえば「量子論の発展史」とか。

 プリントの問題をどう解けばいいのかわからない。
 質問はいつでも来てください。

 状態の重ね合わせで別の世界というのは、パラレルワールド的な話と同じに考えていいでしょう か。
 似てはいます。ただお話に出てくるように、別のパラレルワールドに行った りすることはできません。
 波動関数が収 縮したり、|ψ|2が確率密度であったり、なんかうさんくさい気がしてきて、ちまたで変な学者さんがみんなアインシュタイン にだまされているとかいう本が出回ったりするのも納得しました。
 アインシュタインは最後まで量子力学に反対してたんですけど (^_^;)。量子力学は難しすぎるのか、ちまたの変な学者さんも相対論に比べるとあまりいないようです。

 物理の割にはすっきりしない。見ていないところではψは収縮しないといことは、見ていないと ころで粒子がぶつかる時はψが干渉しあうということ? 見ていないところでは粒子は存在しない?
 「見ていない」というのを「人間が見ていない」と考えると変なわけです が、「見る」というのは機械が見たり猫が見たりも含むと考えた方が精神衛生にはよさそうに思います。
 見ていない時、粒子がどこにいるのかは、量子力学では問うてはいけない疑 問です。

 「波動関数の収縮」がなんで起こるのか、本当に気になります。
 私もすごく気になります。でも、まだ結論が出てないことです。

 シュレーディンガーの猫って、なんで猫なんですかね??(と、猫好きの人からの抗議何人か)
 私もなぜ猫なのかは知りません。他にも人間を入れた「ウィグナーの友人」 なんてのもあります(さすがに毒ガスは出ません)。

 物理法則を理解しようとすればするほど物事を予言できなくなってしまうとは。。。。。
 でも、量子力学以前より量子力学以後の方が、予言できることは増えている のですよ。ただ「絶対に予言できないこと」も増えてしまったわけですが。

 鉄が磁石になったり木が電気を通さないのがどうやってわかるんですか?
 電子の波動関数が、物質中をどのように進行していくか、ということでわ かってくるのです。

 シュレーディ ンガーさんは自分で導き出した方程式から導き出されたものが、自分の考えとは違った結果になってしまったなんて。。。。
 アインシュタインも「光は粒子だ」と言い出した人の割に最後まで量子力学 を嫌っているし、いろいろ皮肉なことが起こるものです。

 かくれた変数 のところで出た、ベルの方程式というのは、2つの粒子の一個のスピンが決まればもう一個も決まるという話で、これが超光速で伝わるからだめじゃん、という ことだったと思うのですが、情報伝達が超光速になることはどのように解決されるのですか?
 これは相関ではあるけど情報伝達ではありません。実験が全部終わった後 で、結果を見るとまるで情報が伝わっていたかのごとく相関があると判明する、というものです。しかし、相関があるということはわかったものの、自分が観測 する前に判定する前に「これはもう波動関数が収縮している」ということは判断できないので、何かを伝えることはできないのです。
 つまり、波動関数は確かに超光速で収縮しているけど、情報は運んでいません。

 多世界解釈ってなんかSFっぽいですね。
 あまりに空想的に聞こえすぎるのが主流じゃない理由なのかもしれません ね。

 規格化って名 前だけ聞いたら難しそうですが、全確率を1にするように定数をかけるだけなんて、簡単で良かった。
 計算は簡単です。もっとも、Nを求める積分が難しいことがあるかもしれま せんが。

 シュレーディンガーは、まさか実際に猫で実験したりしてないですよね?
 もちろん、猫使って実験なんてしてません。思考実験というやつです。

 アルファ線が出る確率が50%なのなら、100匹猫がいたら50匹死んでて、50匹生きてい るものなんじゃないんですか?
 古典的確率はそうですが、量子力学での確率は「重ね合わせ」なのです。

 ヤングの実験って、光子一個でも干渉しているの?
 してます。
 1個の光子が2カ所から出ているの?
 一個の光子の波動関数がスリットの両方を覆うほどに広がっているのです。

 式を作った本人や、その他の著名な物理人があれこれ悩んだシロモノを学生レベルにわからせる なんてキツイですね。
 でも、日本中の学生さんが一緒に悩んでますよ。


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On 30 Jun 2006, 14:42.