科学と非科学(その1)

〜科学と素朴概念


琉球大学理学部物質地球科学科 前野 昌弘


 この授業の評価は、授業内で行うショートレポートで行います。当然、出席してないと点数はありません。



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「科学方法論」という講義なので


科学の方法ってなんだろう?

から始めよう。

あなたの思う「科学的な方法」ってどんなの?
逆に「非科学的」とは、どういうもの?
しばらく議論

ここでは「科学的」の逆である「非科学的なこと」の例として「素朴概念」を考えていこう。

「素朴概念」とは


 学校などで学習する前から、経験を元にある程度持っている認識
(誤りを含んでいる場合もある)

誤りを含む場合は、そこから抜け出さなくてはいけない。

 おそらく現代人なら多くの人が抜け出せているであろう例

地球の回りを太陽が回っている。

 ↑は、「間違った」素朴概念の例です。

 でもどうしてこれが間違っているのと分かるの?と問われてちゃんと答えられる人は意外と少ない。

 天動説から地動説までの長い道のり

その前に倒すべき素朴概念


太陽と地球はどっちが大きい?

地球の方がでかい と素朴には思うが、実は太陽の方が(約109倍)でかい

でも直観的には「地球の方が大きい」と感じてしまう。
日常において「太陽の大きさ」を実感することはあまりない。これは「太陽の遠さ」が実感できないせいである。

ちなみに、夜道を歩いていると「月が自分を追いかけてくる」と思うのは、実は月が遠いことからくる錯覚。

太陽が大きいってどうしてわかったの?

月と太陽の距離と大きさの関係は、下の図でわかる。
これは、日食のときに月がちょうど太陽を隠すことからもわかる。
地球から月と太陽の距離の比は、下の図でわかる。
地球と月の大きさの比は、月食のときに「地球の影」が月に落ちることからだいたいわかる。
 以上のように太陽の大きさを最初に見積もったのはアリスタルコス(紀元前310頃〜紀元前230頃)。
彼の出した数値はだいぶ間違っていたが、考え方は正しい。

間違った素朴概念を「正す」ために

 ここまででもわかったように、人間の「直観」では正しい結論が得られないことが多いにありえる。

 「測定する」 「考察する」 「計算する」 「図解する」

などなど、直観に頼らない思考があってはじめて、人は正しい認識を得ることができる。

 人類がこれまで誤った素朴概念を克服してきた、その手段こそが「科学」なのである。

 逆に言えば、科学の方法論なしでは間違うのが人間の本性である。
「昔の人はバカだなぁ」で済む問題ではないのだ!

 では科学はどのような「方法論」で発展してきたのかを考えていこう。

 今では克服された、間違った素朴概念の話を少し続けよう

 太陽の方が大きいなら、大きいものが小さいものの回りを回るのは不自然(←これも一つの素朴概念だが、正しい)。

惑星の動きも「地球中心」で考えると不自然(→アニメ

 しかし、地球の方が太陽の回りを回っているという考えに至るには、別の「素朴概念」が邪魔をする。

地球が動いているというのなら、
なんで俺たちは落っこちないんだい??

この疑問に答えられるかな?

科学と素朴概念の戦い

 物理(と言っても中学理科レベル)の例で説明しましょう。


物体は力を受けると動く


 これが「間違った」素朴概念の例です。

 ここで、え、間違っているの?と思った人は素朴概念から抜け出せてません。

どこが間違いかわかるかな?
 実はこの物体は力を受けると動くというのはアリストテレス的な概念で、ニュートン力学によって否定された「素朴概念」です。
アリストテレス的考え:運動するものは何であれ他のものによって運動させられる
ニュートン的考え:他からの影響が及ばないならば、物体は同じ運動を続ける(ガリレオの慣性の法則)

 地球が動いているとすれば振り落とされると考えるのは、自分が乗っている物体(昔なら馬車とか)が動き出した時に放り出されるイメージが残っているからであろう。「自分」は「この場所」に静止していて、地球だけが動いていってしまう、というイメージを持ってしまうからでしょう。

ガリレオの思考実験

 ガリレオは等速運動する舟の中で起こる現象について「慣性の法則」を説明した。それは「舟のマストから物体が落下するときにどこに落ちる?」というものだった。
 少し現代的に「電車の中でジャンプすると『どこ』に着地する?」と疑問を言い換えてみよう。
という感覚を持っている人はいないだろうか?

 電車のアニメーションで見てみよう(→アニメへ)。


慣性の法則

 物体に力が働かないならば、その物体は静止するか、等速直線運動を続ける。


 電車から離れた物体は「力が働かなくなったからその場所に静止する」のではなく、
電車から離れた物体は「力が働かなくなったから等速運動を続ける」
というのが、正しい物理現象なのです。

素朴概念は、強い。

 この「慣性の法則」の理解があって初めて、「動く地球からは人が落ちる筈」という誤った素朴概念から人は抜け出せた。

アリストテレス:紀元前384-紀元前322年

ガリレオ・ガリレイ:1564-1642年

という時の流れを考えると、アリストテレス的素朴概念の打倒に2000年近く掛かったことになる。

 もう一度、強調しておこう。「直観」に頼ったとき、人間はしばしば間違える。それはこれまでの歴史が証明している。科学は、人類が「直観」から自由になって考えるための道具なのである。

科学者である為にわかっておいて欲しい事


科学は「言ったもん勝ち」ではない。
 「私はこう思う」「こうに違いない」という根拠なき断言が間違っていた例は歴史上たくさんある(ありすぎるほどに)。根拠なき断言は疑うべし。

科学は「当たっていればOK」ではない。
 客観的証拠と正しい推論を積み上げて実験的・理論的にその正しさを確認しないうちは「正しい」とは限らない。結果として言ったことが「当たり」であったとしても、正しい証拠や推論に基づかないなら、それは「まぐれ当たり」でしかない。

今日のショートレポート

自分が以前に(子供の頃なども含む)持っていたと思う「間違った素朴概念」について記し、それが「間違いである」とわかったのは何のおかげだったかを書いてください。
特に物理的なものでなくてもいいです(化学・生物・地学はもちろん、社会学などにも、「間違った素朴概念」はたくさんある)。
自分の「間違った素朴概念」が思い出せない人は、「他人が間違っていた例」についてでも構いません。

今後の授業計画

10月16日:科学とオカルト

  • 非科学的だと言われる「オカルト」は何がどのように「科学」にならないのかを考えます。


10月23日:科学と疑似科学

  • 科学を装っているが科学ではない「疑似科学」とその問題点について考えます。


10月30日以降は田原先生の担当回になります。