初等量子力学講義録第6回

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(前回の続きから)
 フランクとヘルツ26は原子内の電子の持つエネルギーがとびとびであることを、以下のような実験(1914年)で証明している。
フランク・ヘルツの実験概念図
 水銀の蒸気を満たした管の中に電子を発生させ、電圧をかけて管内を走らせる。電子がやってき た先には網と、その後ろに電子を追い返すような逆電圧をかけたプレートが待ち構えている。電圧を高くすれば走ってきた電子は勢いで網を通り抜けてプレート に入り、検流計に電流が流れるのだが、電圧が4.9Vを超えると、突然電流が減少する。これは管内に放出された電子のエネルギーをもらって、水銀のまわり を回る電子が励起するからである。この時走ってきた電子はエネルギーを失う。つまり水銀の場合のE2E1に 相当するエネルギーが4.9eVぐらいであり、4.9eV以下のエネルギーしか持っていない電子では、水銀原子を励起することはできない。ということは逆 に、4.9eV以下のエネルギーしか持っていない電子はエネルギーを取られることはないのである。黒体輻射の話の時も、高い振動数の光が大きいエネルギー 単位(hν)を要求するために逆にエネルギーをもらえない(分配されない)という状況があったが、ここでも同様の現象が起きている。水銀原 子は4.9eV以上というエネルギーを要求するため、それより低いエネルギーを持った電子はエネルギーを奪われることはない(貧乏人は泥棒に狙われな い!)。電圧が9.8Vを超えると、今度は2個の水銀原子を励起できるので、また電流の減少が起こる(14.7V でも同様)。この実験によって、原子の回りの電子が確かに基底状態、励起状態という安定状態を持っていることが確認できた。

4.4  ゾンマーフェルトの量子条件と位相空間

 以上のような現象を見ていくと、たとえば光のエネルギーはnhν、原子内の電子のエネルギーは−[(E1)/(n2)]という形に「量子化」されている。どちらの条件においても、同じプランク定数h が大事な役割を果たしていることに注意すべきである。光であるとか電子であるとかに限らず、プランク定数hを通して「物質(光を含む)の取り得る状態」に制限がつけられることになる。
 その制限がボーアの量子条件なのだが、より一般的には、ゾンマーフェルトによって

周回積分
p dq = nh
(4.7)
の形に書かれている。p,qはそれぞれ一般化運動量と対応する一般化座標であり、(周回積分)は周期運動一回分の積分である。2πr ×mv=nhという形だと、円運動にしか適用できないが、この条件なら周期的な運動であればすべて適用できる。
 一般化座標qとそれに対応する一般化運動量pの両方を座標として扱った2次元の空間(q,p)(座標がN個あるならば2N次元の空間になる)を位相空間と呼ぶ。時間がたつとqpも変化していくが、その変化の軌跡は決まった線になる。
 ここで、なぜqだけの空間ではなく、pも含めた位相空間を考えなくてはいけないかを説明しておく。運動方程式は
m
d2
x
 

dt2
=
f
 

(4.8)
で表される、二階微分方程式である。だから、ある瞬間のx(物体の位置)がわかったとしても、それで未来における物体の位置はわからない。一方、もし物体の位置と運動量が両方わかっていたとすると、任意の未来における物体の位置と運動量を予言することが可能である。なぜなら、位置と運動量のペア(位相空間内の点)は


dq
dt

=

H
p


(4.9)


dp
dt

=
H
q


(4.10)
という二つの方程式(「正準方程式」と呼ばれる)で決められた方向に運動するからである。よって、 位相空間に点を一つ打つと、その点が時間が経つとどこに移動するかは、ハミルトニアンの形を見るだけで完全にわかる。このように位相空間で考えると運動を 位相空間内での線として考えることができる。この他にも位相空間を考えるとありがたいことはあるのだが、ここでは省略する。



[問い4-3] Htを陽に含んでいない場合、Hはその線上で一定値を保つ。すなわち、Hp,qの関数であるとすれば、[(d)/(dt)]H(p,q) = 0である。正準方程式を使ってこれを証明せよ。



位相空間上の楕円
 たとえば、ハミルトニアンが
H = 1
2m
p2 + 1
2
mω2q2
(4.11)
で表せる系(バネ定数k=mω2のバネにつながれた質量mの調和振動子)の場合の位相空間を考えよう。 この物体はエネルギー保存則から、H=E(一定値)となる線の上を動くことになるが、それはつまり、(p,q)座標系でみると、p方向の径が√[(2mE)]、q 方向の径が√{[(2E)/(mω2)]}の楕円である。 この場合の正準方程式は


dq
dt

=

H
p
= p
m


(4.12)


dp
dt

=
H
x
= −mω2 q

(4.13)
であるから、p > 0のところではqが増加し、q > 0のところではpが減少する。ゆえに、調和振動子が1回振動するたびに、位相空間内の点はこの楕円を時計回り方向に1周する。(∫)p dqという積分を1周分行うということは、この楕円の面積を求めていることになる。ゾンマーフェルトの条件は、位相空間における面積を計算していると考えて良い。楕円の面積公式Sab(a,bは長半径と短半径)により、この積分の結果は

周回積分
p dq = π
(2mE)1/2
 
×(2E/2)1/2= 2π E
ω

(4.14)
である。



[問い4-4] この調和振動子がq=Asinωtで表される振動をしていると考えて、周回積分pdq = ∫0T p [(dq)/(dt)]dtとなること(Tは周期)を使って(∫)pdxを計算し、上の計算と同じ答えが出ることを確認せよ。



ゾンマーフェルトの量子条件を適用すれば、この値はnhなので、
E = nh ω

= nh ν
(4.15)
となる。このように、調和振動子のような系では、ゾンマーフェルトの量子条件はE=nhνを与える。実は電磁波の場合でも同様の計算が成立してE=nhνを与える。この条件は光や電子や、いろんな場合で共通して使える一般的な条件なのであり、量子力学を作っていく上で大きな手がかりとなる式である。
位相空間図
原子模型の場合に話を戻そう。電子が等速円運動しているなら、運動量の大きさはmvで一定で、一周するとq(位置座標)が2πr変化する。これから(4.2) が出る。あるいは、pとして角運動量mvrを取り、対応する座標として角度をとれば、一周は角度2πであるので同じ結果になる。つまり、ゾンマーフェルトの条件はボーアの条件を含んでいる。

【補足】この部分は授業では話さない可能性もあるが、その場合は読んでおいてください。
 授業では話しませんでした。読んでおいてください。

ここまでは電子は円運動していると考えたが、惑星のように楕円運動をしてもよいはずである。
水素原子の電子軌道
 楕円運動(に相当するもの)を含めた詳しい計算は後で、より物質の波動性との関連が明らかになってから行うが、簡単に結果を述べておくと、やはりこの場合も量子条件により、どんな形の楕円でもいい、というわけにはいかない。許される電子の軌道は主量子数と呼ばれるn(自然数)と、軌道量子数と呼ばれるl(0以上の整数で、最大値はn−1。楕円の扁平さを表す)、および磁気量子数と呼ばれるm(整数で−l < m < l。軌道の傾きを表す。±lの時もっともz軸周りの角運動量が大きい)で分類できる。エネルギーは主量子数nだけに依存する(E=−[(E1)/(n2)])。主量子数nの状態には、l = 0,1,2,…,n−1の状態27 があり、各々のlの値に対し磁気量子数が−l からlまでの2l+1 個ずつある。よって主量子数nの状態は



1
l = 0 
+

3
l = 1 
+

5
l = 2 
+…+

(2n−1)
l = n−1 
= n2
(4.16)
個あることがわかった。このように、同じエネルギーを持つ状態がたくさんある時、「縮退(degenerate)している」と言う。後でわかった「スピン」という状態変数のおかげで状態数は全て2倍されるので、n=1,2,3,… の状態は2,8,18,…個ずつあることになる。この2,8,18という数字は原子の周期表に出てくる1行あたりに並ぶ元素の数である。原子の回りを回る 電子の配置が化学的性質の違いを作っていることを示している。たとえば、なぜヘリウム(原子番号2)、ネオン(原子番号10)が安定なのかは、これらの原 子の回りを回っている電子がちょうど主量子数n=1,2をきっちり満たす数であることと関係がある。ヘリウムはn=1の軌道がちょうど埋まっているし、ネオンはn=1とn=2の軌道がちょうど埋まっている28。 このようにして、量子力学によって原子の構造が説明されていく。実際に量子力学に乗っ取って正しい計算を行うと「原子のまわりの電子は円軌道や楕円軌道を 描いて回っている」などという考え方はできなくなる。そういう意味では上の図はほんとうではない。実際どうなのかは後で具体的計算と一緒に話す。
なお、上で「埋まっている」と書いたが、すでに他の電子が入っている状態にもう一個の電子が入ることはできない。これをパウリの排他律と言う。

【補足終わり】


第5章 物質の波動性

 前章で、ボーアの量子条件を導入することで原子の中の電子の運動の法則性を得ることができた。しかし、このボーアの(あるいはゾンマーフェルトの)量子条件の物理的意味はなんだろうか?-光の粒子性を表す数値であるプランク定数hがここにも登場したことには、何か本質的な、統一された意味を見つけることができるのだろうか?

5.1  ド・ブロイの仮説

 ド・ブロイ(de Broglie)は「波動だと思っていた光に、光子という粒子的記述が必要であることがわかった。ならば、粒子だと思っていた電子やその他の粒子にも、波 動的記述が必要なのではないか?」という着想のもと、物質の波動論を展開した(1923年)。ド・ブロイはアインシュタインによる光量子のエネルギーE=hνと運動量p=[(h)/λ]の式を電子などにも適用して、

p2
2m
+V = hν,   p= h
λ

(5.1)
という式が成立するのだと考えた。pは粒子の持つ運動量、Vは位置エネルギーである。つまり運動エネルギー[(p2)/(2m)]と位置エネルギーVの和である全エネルギーをhνと置き換えた。
円周上の波 
 この置き換えの結果、ボーア-ゾンマーフェルトの量子条件には明確な物理的意味が生まれた。円運動している場合のボーアの量子条件はmv×2πr = nhであったが、mv の部分をド・ブロイの関係式をつかって[(h)/λ]と置き換えると、

h
λ
×2πr = nh   すなわち   2πr = nλ
(5.2)
という式が出てくる。これは、円軌道の上を波が進んで一周する(2πr進む)間の距離に自然数個の波が入っていることを意味するのである。
 楕円軌道の場合、電子が原子核に近づくとpは大きくなる。なぜなら今、
E= p2

ke2
r

(5.3)
が一定となっており、rが小さくなるとpが大きくなるからである。よって(∫)p dqを計算する時、半径が小さいところではpを大きく、大きいところではpを小さくしながら積分を行うことになる。pが大きいということは波長λが短いということだから、半径が小さいところでは波長が短くなり、半径が大きいところでは波長が長くなることを意味している。
楕円上の波
 古典力学的に考えると「位置エネルギーVが増えると運動エネルギーが減る」という現象が起きているが、波動として考えると「Vが大きい場所では波長が伸びる」という現象が起きていることになる。ド・ブロイの波動力学では、位置エネルギーというものへの捉え方が古典力学とは違ってきている。結果としてこの二つの力学が同じような結果を示すようになっているのである(詳細は後で示す)。
なお、このような図を見て「電子が外へ内へと振動している」というふうに勘違いする人がよくいるので念のため注意しておくが、
物質波には方向はない。
絵で外へ内へと振動しているように描かれているが、それはあくまで図を描く都合上であって、物質波は方向のない波(スカラー波)である。後で波動関数という形でこの波を表現するが、その波動関数にも方向はない29。ではいったい何の波なのかということについては、後で述べる。

 電子は円を描いて回るんですか?
 いえ、実際どうなっているのかはまたゆっくり計算とかも含めて述べますが、実際にはこの範囲全体にべたっと広がっています。

 電子が波だとすると、質量mというのはどういう意味があるんですか?
 「波にも動かしやすい波と動かしにくい波がある」と考えてください。同じ力をうけて、進行方向が大きく変わるのは動かしやすい波、つまり質量の小さい粒子。進行方向があまり変わらないのが動かしにくい波、つまり質量の小さい粒子というわけです。
 このあたりの話はもっと具体的な計算をやる時に、もう一度ちゃんと話しましょう。

学生の感想・コメントから

 電子が波というのは、電子自体が波を描くように陽子の回りを回っているんですか?
 違います。一個の電子がぼんやりとひろがって、それが「波」の状態にあるという感じです。授業中にも言いましたが、「回っている」というイメージも、実は正しくありません。

 光と電子は同じものなのでしょうか?
 どちらも波と粒子の両方の属性を持っていますが、だからと言って同じというわけではありません。違うものです。

 電子が波なら、電子と陽子からできている原子も波の性質を持っているのですか?
 はいもちろん。

 あらゆる物質が波の性質を持っているんでしょうか。なぜ見えないのですか?
 波長に比べて物体のスケールが大きくなると、波の性質が隠れてしまいます。このあたりは普通の波でも言えることです。光の波長はすごく小さいので、ふだんの日常生活では「光は波」ということもなかなかわかりません。

 現代の技術なら原子は観測されているのではないですか?
 大きい原子ならいろんな方法で観測できます。でも小さい原子や、電子一個を「見る」というのはとてもたいへんです。

 電子の波が円を描くように回るのではなく、広い範囲に広がっているんだとすると、n1からn2へと軌道を考える式とうまくかみ合わないのですが。
 軌道をジャンプする、というのは実は、広い範囲に広がっている電子の状態がある状態からある状態へといっきに変化する、ということになります。

 波にも質量の差があるという話でしたが、じゃあ電磁波にも運動量があるんですか?
 その話は第3回でやったでしょ。もちろんあります。

 今回は(4.11)を使って話が進んだが(5.3)を使っても同様にできるのか、疑問に思った。
 できます。ただし、(4.11)の場合の計算の方がずっと簡単です。

 光だけでなく電子も波だといわれると、世の中すべての物質が波のような気がしてきた。
 それでいいんです。世の中全部波です。

 物質波を方向がないにしろ振動しているのなら、いったい何が振動しているんですか?
 「何」と言われてもちょっと困るけど、実際には「確率振幅」というものが振動してます。これについては授業が進めば出てきます。

 電子の波はつながっているんですか、とぎれとぎれになっているんですか?
 つながってます。でないとド・ブロイの式からボーアの条件が出てこない。

Footnotes:

26このヘルツは電磁波を発見し、光電効果発見のきっかけとなる実験を行ったヘルツの甥。
27l = 0,1,2 の状態をそれぞれs状態、p状態、d状態と呼ぶ。さらに前に主量子数をつけて、1s状態(n=1,l = 0)とか2p状態(n=2,l = 1)などと呼ぶこともある。
28電子がたくさんになると、いろいろと今の計算から外れたところが出てくる。たとえば、同じnであってもlが違うとエネルギーが違ってきたりする。
29よく「物質波って縦波ですか横波ですか?」という質問を受けるが、どっちでもない。空間内で振動しているわけではない。

File translated from TEX by TTHgold, version 3.63.
On 3 Jun 2005, 13:35.