第11講 時間はなぜ未来へ“流れる”か


今回は「時間」の流れ(特に「過去から未来へ」という方向)について物理的に考えてみます。

時間反転と物理法則

一個の物体が落下しているとしましょう。これをビデオを逆回しするように時間を逆にみると、今度は物体が上昇していることになります。では、「時間が反転すると重力も逆向きになる」のでしょうか。いえ違います。物体が落下する時は、その落下の速さはだんだん速くなっていきます。ではこれの時間反転した姿はどうでしょうか。時間が反転するのだから、速さはどんどん遅くなっていきます。物体が上昇しながら、その速さがどんどん遅くなっていく---ということはつまり、普通に物体を投げあげた時の運動と全く同じなのです。実は物理法則は後で述べる唯一の例外を除いて全て、時間が反転しても不変です。つまり物理現象の中では(例外を除いて)時間のどっちが未来だか過去だか、判定することはできないのです。

それを下の「動くグラフ」で実感しましょう。
 以下のグラフは、横軸時間で、縦軸が物体の位置および物体の速度である。

↑ここをチェックすると、速度が棒グラフで描かれる。

「時間反転する」を押すと時間が反転したグラフが描かれるが、たとえば「放物線にする」の場合、どちらの運動もちゃんと「実現スる運動」になっている。

ということを言うと、「え、そんなことはないぞ」と思われると思います。たとえば、砂時計を考えてみると、砂時計の砂が上に上っていくところなど、手品ででもない限り、見たことがないはずです。

では、物理において時間の流れる向き---時間の矢---を指定するものはいったい何なのでしょうか。

波動の時間の矢---光や音は必ず広がる

時間の方向がわかる物理現象としては、光や音など、波の拡散という現象があります。たとえば今、「あーー」と叫んだとしましょう。この「あーー」という声は教室の中を広がっていきます。けっして逆に縮まっていったりはしません。これも一つの「時間の矢」と言えます。

ところでこの現象をミクロに見ると、ということは、空気の分子が振動する、ということです。では、これを時間反転してみます。すると振動の流れが逆になります。つまり「しゃべった人の喉の振動」から「聞いている人の耳の振動」へという現象を時間反転すると、まず聞いている人の耳が振動し、次にそれに応じて空気が振動し、その空気の振動がよりあつまって人の口に飛び込み、それが喉を振動させる、という現象が起こることになります。

たしかに、こんな現象は起こりそうにありません---では、どうして``起こりそうにもない''のかをもっとつきつめて考えてみましょう。

図のFig.1の方は、「Aから出た音がBとCに到着した」という図です。

これを時間反転した現象がFig.2に書かれたもので「BとCを出発した音がAに到着した」という図になります。

Fig.1の方がFig.2に比べて``起こりそう''に見えます。そう見える理由は、Fig.2の現象が起こるためには、BとCが時間的にタイミングをうまく合わせて振動しなくてはいけないからです。

タイミングがずれると、波はA点に同時に到着しません。現実的な場合(教室で「あーーー」と言う場合)では、音の到着点は2個どころではなく、分子レベルで考えればアオガドロ数以上になります。その分子1個1個がうまくタイミングを合わせて振動するというのは、おおよそ起こり得ないことです。

このように、「波が広がる」現象に比べて「波が収束する」という現象はそのような初期状態を用意することが難しいゆえに、起こりにくくなります。ですから波の広がり現象を見ることで時間の向きを判定することができます。これが「波動の時間の矢」です。

熱力学の時間の矢---物事は乱雑に向かう

次に熱力学での時間の矢を考えましょう。「熱力学」というと難しそうですが、この時間の矢の意味するところは単に「等量の0度の水と100度の湯を接触させておくと50度になるが、その逆は起こらない」ということです。あるいは「コーヒーに砂糖を入れて混ぜてしまったら、もう砂糖だけを取り出すことはできない」ということです。熱力学ではこのような法則を「エントロピー増大の法則」と呼びます。

エントロピーとは、「物事の乱雑さの度合い」を表す量です。エントロピーを計算するためには、その物の取り得る状態の数を求めることからはじめます。取り得る状態の数が多いということは「乱雑な状態」、つまりエントロピーの高い状態であり、取り得る状態の数が少ないということは「規則的な状態」、つまりエントロピーの低い状態と考えるのです。

などと難しそうなことを言ってもよくわからないと思うので、乱雑さというものの性質を理解するために、ここでポーカーを考えましょう。簡単のためにジョーカーは入れないとします。もっとも強いロイヤルストレートフラッシュ(10,J,Q,K,Aの順に同じマークが並んでいるカード)を考えます。ロイヤルストーレトフラッシュになるカードの組合わせは4種類(マークが4つあるから)しかありません。取り得る状態の数が非常に小さい(つまりエントロピーも小さい)のです。一方、役の中では一番弱いワンペアを考えると、まず1から13のどれがワンペアになっていてもいいからこれで13通りあります。残り3枚は今決めたもの以外から選ぶので、${12\times11\times10\over3\times2\times1}=220$通りあります。今カードの番号だけでマークは考えなかったので、それを勘定に入れます。ペアになった2枚は6通り、残りは4×4×4通りあることになります。これらをかけると\begin{eqnarray*} 13\times220\times6\times4\times4\times4=1098240 \end{eqnarray*}という非常に大きな数字となります。つまり、たった4種類しかないロイヤルストレートフラッシュに比べ、ワンペアは1098240種類もあるのです。ちなみにトランプを5枚選ぶ選び方は全部で${52\times51\times50\times49\times48\over 5\times4\times3\times2\times1}=2598960$通り。ワンペアができる確率はけっこう大きい。

でたらめにカードを5枚選んだとするとロイヤルストレートフラッシュができる確率はワンペアができる確率の${4\over1098240}={1\over274560}$しかないのです(もちろんいかさまがない場合)。つまりはポーカーだの麻雀だのの役というのは、できる確率が小さいものほど強く作ってある、ということです。

これが時間の流れの話と大いに関係があるのです。5枚のカードをトランプの山からでたらめに引き続けるとします。ポーカーで言う「総替え」を何度もやっているようなものです。何度もやっていればワンペアぐらいはできます。運がよければスリーカードやツーペアだってできるかもしれません。ものすごく運がよければ、あるいは根気よく何度も何度も引き続ければ、ロイヤルストレートフラッシュだって出る可能性は一応あります。カードを総替えした結果、手がよくなる場合を「にっこり」、手が悪くなる場合を「がっかり」と名付けてみます。さて、「にっこり」と「がっかり」はどちらがよく起こるでしょうか。

考えてみるまでもなく、「がっかり」の方が圧倒的に多くなります。なぜならいい手というのは確率が小さいのですから。だからこれをみて「ポーカーの手は総替えするとたいてい悪くなる」という法則を立てても、間違いではありません(総替えした結果ロイヤルストレートフラッシュが来る可能性も、ほんの少しだけですがありますが)実際、ポーカーで総替えをするのは、これ以上悪くならない最低の手(ブタ)が来た時ぐらいです。

さて、ここで話は時間の矢に戻ります。この「ポーカーの手は総替えするとたいてい悪くなる」という法則を物質の現象にあてはめると、最初に言った「エントロピー増大の法則」というものになります。この法則、実は時間の方向を規定している法則なのです。

熱力学で言うエントロピー増大の法則というのは気体や液体などの状態に適用して考えます。

たとえば、今教室の中にある空気の分子を考えましょう。この分子が、教室の右半分だけにある確率と、全体にまんべんなく分布している確率は、どっちの方が大きいでしょうか。もちろん、全体でまんべんなく分布している場合の方が確率が高くなります。

ものすごくいいかげんな計算ではありますが、ここで確率を計算してみましょう。空気の分子1個が右半分にいる確率は${1\over2}$であるから、もし教室の空気が10個の分子でできていれば、全部が右にいる確率は$\left({1\over2}\right)^{10}={1\over1024}$です。一方、半分が右、半分が左である確率を計算する時は、10個のうち、右に配置する5個を選ぶ時にこの場合の数をかけなくてはいけません。確率は${10\times9\times8\times7\times6\over5\times4\times3\times2\times1}=252$倍も大きくなるのです。もちろん空気の分子は10個どころではないので、この差(つまり全部右にいる確率と半々に別れる確率の差)はもっと圧倒的になることに注意してください。

エントロピー増大の法則とは、直感的にはそういうことです。ものごとは、{\bf 確率的に}、乱雑な方向に進む(部屋の片付けをしなければ、部屋は散らかる!)のです。

不思議なことは、たくさんある物理法則の中で、この法則だけが、時間の方向を指定しているということです。さっきの例で言えば、「ふと気がつくと部屋が片付いていた」なんてことは、夜中に小人さんが来たのでもない限り有り得ない。でも、「ふと気がつくと部屋が散らかっていた」なんてことは日常茶飯事ですね。

時間の「流れ」に逆らうには

19世紀の物理学者であるマックスウェルは、このようなエントロピー増大の法則に従わないような存在がもしいれば、空気からエネルギーを取り出すことができることに気付きました。マックスウェルが仮想したこのような存在は、「マックスウェルの悪魔」と呼ばれています。

空気を入れた箱を考えます。悪魔はその真ん中にあるしきりを操作しています。箱の左側から速度の速い空気分子が走ってくると、悪魔は扉を開けます。一方、箱の右側から速度の遅い空気分子が走ってくると、悪魔は扉を閉めます。これをずっと続けていると、箱の右には速い分子ばかりが、箱の左には遅い分子ばかりがたまります。速いということは温度が高いということなので、右の箱の方が温度が高くなります。燃料なしで空気の温度をあげ、車をガソリンなしで動かすことができます。現実にはマックスウェルの悪魔はいませんし、悪魔の替りをしてくれるような機械を作ることもできません(得られる以上のエネルギーを投入してよければ別ですが…)。

時間の流れを規定する物理法則が、トランプの「にっこり/がっかり」のような確率論的な話からできているのはちょっと驚きです。しかし、たとえば空気の分子の数などを考えるとトランプの枚数などより圧倒的に多い(たとえば、22.4リットルの空気の中には約$6\times 10^{23}=600000000000000000000000$個の分子がいます)ことを考えると、りっぱな物理法則として受け入れてよいことがわかります。たとえば、空気が教室の右半分に片寄ってしまう確率を計算してみると、宇宙の年齢の数兆倍ぐらいたってもぜんぜん起こらないことがわかります。

エントロピー増大の法則からすると、物体の運動はどんどん乱雑な方向に進んでしまいます。物体を床の上で滑らせると摩擦熱を出して止ってしまう理由もエントロピーの増大です。物体がひとかたまりで運動している状態と、静止して分子1個1個が振動している状態では、後者の方がより乱雑(状態の数が多い)です。熱が高温から低温に移動するのも、100度の湯と0度の水が1リットルずつある状態より、50度の水が2リットルある状態の方が乱雑(状態の数が多い)だからです。実はエネルギーは保存するので、なくなったりはしません。エネルギーが広がってしまうために、集めて使うことができなくなる、というのが問題なのです。

さらにエントロピーの増大の先を考えましょう。宇宙のエントロピーがどんどん増大していくとすると、やがて宇宙は均一な温度で均一な物質が静止して広がっているという状態になります(エントロピー最大の状態)。これを「宇宙の熱死」と呼びます。

時間の方向とは何なのかということについて考えてきました(ここで述べたもの以外には「量子力学的時間の矢」量子力学では「波動関数の収縮」という現象が起こりますが、これは逆の過程がありません。というのもあります)が、波動の時間にしろ、熱力学的時間にしろ、分子1個1個の運動まで考えて時間反転すれば、ちゃんと逆向きの現象が起こります。もし、今宇宙を作っている原子などの動きをいっせいに「回れ右」することができたなら、時間の逆流ができることになります(もちろんそんなことは誰にもできませんが)我々は時間が「過去から未来へ進む」と感じる理由として、我々の記憶が過去の方向だけを向いているから、という考え方もできそうです。つまり「何が起こったかを脳に蓄える」ことが、エントロピー増大する方向の現象なのです。もしそうなら時間が逆流したとしても、我々はそのことに気がつかないかもしれません。反転した時間のなかの「過去」(逆流前の「未来」)しか我々には記憶できないからです。

時間が逆流しているような現象が我々に見えるところで起こらないのは、どちらの時間の矢も「そんな現象が起こるような初期状態を作ることは難しい」ということからきているようです。

感想・コメントへ
今日の問題
「エントロピーが減っている」ように見える現象をあげてください。実際には減らないので、「ように見える」だけでいいです。実際の現象で思いつかない場合は空想として「こんなことが起こったらエントロピーが減ってしまう」という話でもよいです。
すりばち状の空間に水をぶちまけると、散らばった水が中心に集まるのでエントロピーが下がっているようにみえる。

これは確かにエントロピーが減るように見えますね。この場合は「エネルギーが低い方に」という法則の方が勝っているわけです。

形状記憶合金が元に戻る。

なども理屈は同じです。

水と油を混ぜても分離してしまう。

これも確かにエントロピーが減るように見えますね。エントロピーを増やそうという作用より、水と油の互いを嫌がる性質の方が強いとこうなります。

砂鉄を磁石で集めた時。

これはちらばったものが集まってくるので、エントロピーが下がってます。もちろんその分、磁石を動かした手や持ち運んだ足がエネルギーを消費して(←この時当然人のエントロピーも上がる)いることになります。

落ち葉が一つの場所にかたまってつもっていたら、エントロピーが下がっている。

これは確かに下がってます。ただ、誰かが掃いてそうなったのなら、それはその人がエネルギーを使って作業をした結果で、その人や落ち葉以外の回りは、エントロピーを上昇させたはずです。

液体が凍っていく現象。
期待が液体になる現象。

などを答えた人もいました。これは確かにエントロピーが下がります(気体の場合そこらじゅうを動き回っていたものが小さくまとまり、また固体になるともう自由に動くこともできなくなる)。ただし、これが起こるのは誰かが「冷やす」ということをしてくれた時なので、その「冷やしたもの」のエントロピーが上がっているわけです。

交差点で警官が人の流れを整理している時。

これはマックスウェルの悪魔同様、整理することでエントロピーを下げているわけですね。

生物の突然変異。

これはどっちかというと元の形を「乱している」のでエントロピーを上げている方が近い。

以下は空想的な、「実際には起こりそうにない例」。

こわれたコップが元に戻る。
ミルクコーヒーがミルクとコーヒーに戻る。
スライムが合体して大きくなる。
使っているシャーペンの芯が短くならない。
感想・コメントなど

青字は受講者からの声、赤字は前野よりの返答です。

時間が逆行しても物理法則が変わらないのは面白いと思った。
物理法則はこのあたりうまくできてます。

光や音は広がってしまうそうですが、それらは消えてしまうのでしょうか。少しは残っているものなのでしょうか。
いろんなものに吸収されてなくなっていきます。

宇宙の最後が熱死(すべてが均一になる)というのはつまらない終わり方だなぁと思った。
つまらないといえばつまらない(^_^;)。まぁ我々が生きているうちには起こらないので安心。

エントロピー増大の法則がなければ部屋が勝手に片付くのだろうか。
そのためには「エントロピー減少の法則」が成り立たないと。

エネルギーはなくなるではなく、集めて使うことができなくなるほど拡がってしまう、というのはなるほどと思った。
エネルギーが不足するというのは「使うことができるエネルギーが減る」という意味なんですね。

エントロピーという言葉は始めて聞いた。
重要な概念なんですが、エネルギーとかに比べると知られてないですね。

永久機関が作られればエントロピーは下がっているのでは?
永久機関には2種類あって、エネルギーを保存しない(生み出す)のが第1種、エネルギーは保存するけどエントロピーを減らすことでエネルギーを取り出すのが第2種です。残念ながらどっちもできないようです。

時間の経過と物体の運動が乱雑になっていくということが同じ考えということに少し納得できた。
実際のところ結構ややこしい話なんですが、納得してもらえてよかったです。

乱雑さが時間の流れを決めるってのはなんか不思議だ。
まぁ確かに不思議なことではあります。

エントロピーという響きがなんかかっこいい。
なるほど。

時間は逆戻りできない。古代研究の人は?
古代研究している人は、昔の情報(当然昔より情報は減っている≒エントロピーが増えている)のをせっせと集めることで古代の情報を得ていることになります。


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