初等量子力学講義録2005年第8回

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5.4  最小作用の原理と、波の重ね合わせ

 ここんところで、最小作用の原理について思い出すのにだいぶ時間かかった(^_^;)。途中で、第1回の補足に も書いている「なぜ光はまっすぐ進むのか」という話などをした。もう一度この補足を読み直して欲しい。光がまっすぐやってくる(ように思える)理由は、そ れが位相が極値を取っている経路であり、極値をとってないような経路をたどった光は互いに消しあってしまって結果に寄与しないからである。これが後で書い ている波動力学と古典力学の関係とつながる。

 次に、古典力学におけるハミルトンの原理との関係を述べる。ハミルトンの原理によると、作用の積分

dt(
p dx
dt
H)
= (p dxH dt)
(5.5)
が極値となるのが実現する運動であるということが言えた。ここでド・ブロイとアインシュタインの関係式を使ってp=[h/λ],H=E=hν と置き換えると、


( h
λ
dxh νdt) = h
( dx
λ
−νdt)
(5.6)
が極値になる運動が実現する、ということが言える。この積分の中身の意味を考えよう。波長λ、振動数νの波がAsin(2π([x/λ]−νt))のように書ける(x方向に波が進んでいる場合)ことを思い出せ。この式のsinの中身2π([x/λ]−νt)を「位相」と呼ぶ。時刻t、場所xでの波と、時刻tt場所xxでの波の位相を比較すると、2π( [δx/λ]−νδt )だけ変化している。つまり、作用h∫( [dx/λ]−νdt )は、位相差×[h/2π]である。
 今後よくこの[h/2π]という組み合わせが登場するので、hの上の方に横線を引っ張った記号を使って、hbar(「エッチバー」と読む)=[h/2π]と書くことにする。
経路と位相
 よって、古典力学でのハミルトンの原理(「作用の値が極値をとるべし」)に対応するものは、波動力学では、「波の位相が極値をとるべし」である。
 なぜ波の位相が極値を取らなくてはいけないのであろう。今、ある時空点(x1,t1)から(x2,t2)へ、いろんな経路をたどって波が到達したとする。(x2,t2) において観測される波は、そのいろんな経路をたどった波の和である。経路によって、波はいろんな位相を取る。そしてそのいろんな位相の波の足し算が行われ ることになるが、この時足される波それぞれの位相差が大きすぎると、波が互いに消しあってしまう。位相が極値を取るというのが重要なのではなく、極値を取 るところでは変化が小さい、ということが重要なのである。変化が小さいところの足し算は、位相が消し合うことなく残る。それに対して位相が大きく変化して いるところの足し算は、足し合わされて消えてしまうのである。
 つまり、いろんな経路を伝わって波がやってくるが、実際にその場所にやってきた波の主要部 分は、位相が極値を取っているような波だと考えることができる。そしてそのような経路とはすなわち、古典力学での運動が実現する(作用が極値になる)経路 である。古典力学的立場では、我々は粒子がニュートンの運動方程式にしたがって運動していると考えていた。しかし、波動力学的立場では、進行していくのは たくさんの波の重なりあいである。たくさんの波の大多数は互いに消し合うが、古典力学で計算される経路を通る波は消されずに残る。これが、我々がこの世界 で古典力学が成立している(そして、最小作用の原理という物理法則がある)と`錯覚'した理由なのである。
激しい振動とゆっくりした振動 この波の重なる様子を具体的に考えるのは難しいので、だいたいのところどういう状況なのかを理解するために、簡単な積分の場合で変化のゆるやかな部分だけが生き残る例を示しておく。右のグラフは(x2−2x+2)cos100x2のグラフである。この関数は、x=0付近以外では非常に激しく振動している(位相が100x2という式であることを考えればわかる)。この積分を行うと、ほとんどx=0付近だけの積分と同じになる。つまり、x=0 付近以外の寄与は、結果にまったくといっていいほど影響されないのである。これと同様のことが、波動力学における波の重ね合わせでも起きている。ゆえに位 相が極値となるような経路(古典力学的にはEuler-Lagrange方程式の解となっているような経路)が主要な波の経路であると考えてよい。古典力 学と波動力学はこのようにつながる。
 ド・ブロイが物質波というものを考えた背景には光学がある。光学においても幾何光学という 立場と、波動光学という立場がある。幾何光学では「光線」を考え、光線がどのように進んでいくかを計算する。一方波動光学では「波」を考え、空間の各点各 点に発生する波の重ね合わせによって波の運動を計算する。この二つのどちらを使っても光がどのように進行するかを考えることができる。
 波動(光など)がどのように進行するかは、フェルマーの原理で考える(幾何光学)こともで きるし、波の重ね合わせを使って考える(波動光学)こともできる。考えているスケールに比べて波長が短い場合(日常現象における可視光の場合など)は幾何 光学を使う方が簡単である。 逆に考えているスケールに比べ波長がcomparable30であるか大きい場合は、波動光学を使わねばならない。
 力学でも粒子の進行を、最小作用の原理を使って考えることができる。最小作用の原理に対応するのがフェルマーの原理すなわち幾何光学である。では波動光 学に対応するものは何か???-ド・ブロイはこのような考え方から物質の波動説に到達し、自身のこの考え方を「波動力学」と呼んだ。


波長が短い場合波長が長い場合
光学の世界 幾何光学
(フェルマーの原理)
波動光学
力学の世界古典力学
(最小作用の原理)
波動力学

 ここで、量子力学を考える上で大切な一般的注意をしておく。何より忘れてはならないことは、 現実の世界を司る法則は量子力学であって、「古典力学は量子力学の近似にすぎない」ということである。我々は物理を勉強する時まず古典力学から勉強し、そ の後で「実はミクロの世界では古典力学が成立せず…」ということで量子力学を勉強する。しかし、物理を勉強する順番、あるいは物理の発展してきた歴史とは 逆に、量子力学こそが本質であり、古典力学が成立するというのは錯覚にすぎない。「たまたま量子力学的現象が顕著でないような場合に限って古典力学を使っ てもかまわない」31というのが正しい理解である。
 ここまで、そしてこれからも、「どうして量子力学なんて妙ちくりんなものが成立するのか?」 という疑問を感じることが多いと思うが、逆に「どうして我々(の祖先)は古典力学なんてものが成立すると思ってしまったのか?」と考えてみて欲しい。上で も述べたように、量子力学は、考えているスケールが波動としてみた時の波長よりも充分大きいような時には、古典力学と同じ結果を出す(波長の短い波に対し ては幾何光学と波動光学が同じ結果を出すことと同様である)。普段は量子力学と古典力学は同じ結果を出す場合ばかりなので、量子力学の存在に、我々はなか なか気づかない。
 同じようなことが相対論にも言えて、我々の"常識"は物体が光速の何万分の1でしか動かないような世界で作られている。それゆえにsqrt(1-v^2/c^2)(相対論におけるローレンツ短縮の因子)などという量は1としか実感できない。
 我々は量子力学を実感するには大きすぎ、相対論を実感するには小さすぎる。別の言い方をすれば、我々にとってプランク定数hは小さすぎるし、光速度cは速すぎる。だから我々の"常識"は古典力学やニュートン力学を「正しい」と感じてしまう。しかし、だまされてはいけないのである。
 ド・ブロイもボーアもアインシュタインも、狭い知見で作られた"常識"から離れて大きな視点を持つことができたからこそ、この世界の真実を知ることができた。21世紀に生きる我々も、思考を柔軟にして量子力学を学んでいこう。

 この章の演習問題は第7回の最後につけた。

学生の感想・コメントから

 解析力学を勉強しなくてはいけない、と痛感した(同様のコメントあまりにも多数)
 ほんとにね。ここで必要になるからこそ、2年の時に解析力学をがんばったんですよ。なお、最小作用の原理については、「最小作用の原理はどこから来るか?」という文章も書いたので読んでおいてください。

 これからも解析力学は出てくるんでしょうか?
 もちろん。量子力学の中心となるシュレーディンガー方程式にはハミルトニアンが入ってます。ですから、量子力学ではず〜〜〜〜〜っとハミルトニアンのお世話になります。

 極小から離れた波はきえてしまうということですが、そのエネルギーはどこに行くんですか?(数人から)
 よくある質問なんですが、「干渉によって消える」ところがあれば、かならず「干渉によって強められる」部分がどこかにあります。干渉によってある場所のエネルギーが減っているとすれば、必ず別の場所のエネルギーが増えているのです。

 電子顕微鏡では色は見えませんか?
 見えません。色というのは光の波長で決まるものですから。

 音波も波長が短いと直進するようになるんでしょうか?
 それがいわゆる「超音波」という奴ですね。蝙蝠が超音波を使って障害物を探知する理由は直進性がよいこと、小さい障害物でちゃんと反射することです。

 位相の極値が二つあることはないんですか?
 あります。たとえばヤングの実験(二重スリットの実験)はまさにそうですよ。

 眼が悪くなると回りの景色がぼやけますが、これは人間の細胞が波だということと関係ありますか?
 いえ、近視や遠視は眼のしくみがうまく働いていないことで、量子力学的現象は関係ありません。「どんなにいい眼をしていても、これ以上は見えない」という限界があるのですが、その限界が来る理由は量子力学です。それは次の章で話します。

 一般相対論では光が曲がるという現象がありますが、今回の講義をふまえると、作用の式において、位相の部分がより複雑になっているからですか?
 複雑というより、位相に対応する部分である「空間的・時間的長さ」が場所によって変わってくることが原因で光が曲がります。

 自分は工学部の学生なんですが、解析力学を習ってはいませんん。何か、わかりやすい参考書があれば教えてください。
 そのものずばり、「量子力学を学ぶための解析力学入門」(高橋康・講談社)という本があります。

Footnotes:

30comparableは「比較することができる」という意味。つまり同程度の大きさであることを表す言葉。
31どっちを使ってもいい状況なら古典力学を使う方が楽なのは当然のことである。橋を設計する時に量子力学を使う人はいない。逆にミクロな話をする時には量子力学がどうしても必要である。ICを設計するのは古典力学ではできない。



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On 9 Jun 2005, 19:35.