初等量子力学2006年度講義録第6回

第5回へ 目次に戻る 第7回へ

第4章 ボーアの原子模型(続き)

4.3  状態の遷移と原子の出す光(続き)

 前回、ボーアの式について「なんか適当に出した感じだ」という感想が多かったので、最初に、ボーアの式は適当に見える部分もあるかもしれないが、実験結果と照らし合わせてよい整合性があったのですぐに採用された、という話をした(アインシュタインの光量子仮説がすぐに受け入れられなかったのとはそこが違う)。物理で一番大切なのは実験であり、「実験に合う」ということは大事なのである。「実験に合うように式を作った」というとその場しのぎに適当にやっているようなイメージを持つのかもしれないが、実際に実験にあうように式を作っていくというのはかなりたいへんなことであり、そういう式が出た時にはその式が出てくるには相応の理由があると思った方がいい。プランクの黒体輻射の式も、まず実験に合う式が出て、その意味を考えるとE=hνが出てきた。「実験に合う」ということはとても大きな意味があり、「その場しのぎ」のようないいかげんなものではないのである。

 フランクとヘルツ4は原子内の電子 の持つエネルギーがとびとびであることを、以下のような実験(1914年)で証明している。
 
 水銀の蒸気を満たした管の中に電子を発生させ、電圧をかけて管内を走らせる。電子がやってきた先には網と、その後ろに電子を追い返すような逆電圧をかけたプレートが待ち構えている。電圧を高くすれば走ってきた電子は勢いで網を通り抜けてプレートに入り、検流計に電流が流れるのだが、電圧が4.9Vを超えると、突然電流が減少する。これは管内に放出された電子のエネルギーをもらって、水銀のまわりを回る電子が励起するからである。この時走ってきた電子はエネルギーを失う。つまり水銀の場合のE2−E1に相当するエネルギーが4.9eVぐらいであり、4.9eV以下のエネルギーしか持っていない電子では、水銀原子を励起することはできない。ということは逆に、4.9eV以下のエネルギーしか持っていない電子はエネルギーを取られることはないのである。黒体輻射の話の時も、高い振動数の光が大きいエネルギー単位(hν)を要求するために逆にエネルギーをもらえない(分配されない)という状況があったが、ここでも同様の現象が起きている。水銀原子は4.9eV以上というエネルギーを要求するため、それより低いエネルギーを持った電子はエネルギーを奪われることはない(貧乏人は泥棒に狙われない!)。電圧が9.8Vを超えると、今度は2個の水銀原子を励起できるので、また電流の減少が起こる(14.7Vでも同様)。この実験によって、原子の回りの電子が確かに基底状態、励起状態という安定状態を持っていることが確認できた。

4.4  ゾンマーフェルトの量子条件と位相空間

 時間の関係でゾンマーフェルトの条件についてはおおざっぱな説明で済ませ た。
 以上のような現象を見ていくと、たとえば光のエネルギーはnhν、原子内の電子のエネルギーは−[(E1)/(n2)]という形に「量子化」されている。どちらの条件においても、同じプランク定数hが大事な役割を果たしていることに注意すべきである。光であるとか電子であるとかに限らず、プランク定数hを通して「物質(光を含む)の取り得る状態」に制限がつけられることになる。
 その制限がボーアの量子条件なのだが、より一般的には、ゾンマーフェルトによって


()

p dq = nh
(4.9)
の形に書かれている。p,qはそれぞれ一般化運動量と対応する一般化座標であり、(∫)は周期運動一回分の積分である。2πr ×mv=nhという形だと、円運動にしか適用できないが、この条件なら周期的な運動であればすべて適用できる。実際、水素原子の電子の運動は円運動ばかりでなく、楕円運動もあると考えられるが、楕円運動に対してこの条件を適用すると水素原子の中の電子の軌道について正しい答が出てくる。
一般化座標qとそれに対応する一般化運動量pの両方を座標として扱った2次元の空間(q,p)(座標がN個あるならば2N次元の空間になる)を位相空間と呼ぶ。時間がたつとqもpも変化していくが、その変化の軌跡は決まった線になる。
 ここで、なぜqだけの空間ではなく、pも含めた位相空間を考えなくてはいけないかを説明しておく。運動方程式は
m
d2
x
 

dt2
=
f
 

(4.10)
で表される、二階微分方程式である。だから、ある瞬間のx(物体の位置)がわかったとし ても、それで未来における物体の位置はわからない。一方、もし物体の位置と運動量が両方わかっていたとすると、任意の未来における物体の位置と運動量を予 言することが可能である。なぜなら、位置と運動量のペア(位相空間内の点)は


dq
dt

=

∂H
∂p


(4.11)


dp
dt

=
∂H
∂q


(4.12)
という二つの方程式(「正準方程式」と呼ばれる)で決められた方向に運動するからである。よって、位相空間に点を一つ打つと、その点が時間が経つとどこに 移動するかは、ハミルトニアンの形を見るだけで完全にわかる。このように位相空間で考えると運動を位相空間内での線として考えることができる。この他にも 位相空間を考えるとありがたいことはあるのだが、ここでは省略する。



[問い4-3] Hがtを陽に含んでいない場合、Hはその線上で一定値を保 つ。すなわち、Hがp,qの関数であ るとすれば、[d/dt]H(p,q) = 0である。正準方程式を使ってこれを証明せよ。



  授業ではこのあたりを飛ばしていったので、

 たとえば、ハミルトニアンが
H = 1
2m
p2 + 1
2
2q2
(4.13)
で表せる系(バネ定数k=mω2のバネにつながれた質量mの調和振動子)の場合の位相空間を考えよ う。 この物体はエネルギー保存則から、H=E(一定値)となる線の上を動くことになるが、それはつまり、(p,q)座標系でみると、p方向の径が√ [2mE]、q 方向の径が√{[2E/(mω2)]}の楕円である。
 この場合の正準方程式は


dq
dt

=

∂H
∂p
= p
m


(4.14)


dp
dt

=
∂H
∂x
= −mω2 q

(4.15)
であるから、p > 0のところではqが増加し、q > 0のところではpが減少する。ゆえに、調和振動子が1回振動するたびに、位相空間内の点はこの楕円を時計回り方向に1周する。(∫)p dqという積分を1周分行うということは、この楕円の面積を求めていることになる。ゾンマーフェルトの条件は、位相空間における面積を計算していると考え て良い。楕円の面積公式S=πab(a,bは長半径と短半径)により、この積分の結果は


()

p dq = π
  ___
2mE
 
×   


2E
2
 
= 2π E
ω

(4.16)
である。



[問い4-4] この調和振動子がq=Asinωtで表される振動をしている と考えて、(∫)pdq = ∫0T p [dq/dt]dtとなること(Tは周期)を使って(∫)pdxを計算し、上の計算と同じ答えが出ることを確認せよ。


 問い4-3と4-4についてはあまりちゃんと説明してないので、宿題から は外します。


 ゾンマーフェルトの量子条件を適用すれば、この値はnhなので、
E = nh ω

= nh ν
(4.17)
となる。このように、調和振動子のような系では、ゾンマーフェルトの量子条件はE=nhνを与える。実は電磁波の場合でも同様の計算が成立してE=nhν を与える。
 原子模型の場合に話を戻そう。電子が等速円運動しているなら、運動量の大きさはmvで一定で、一周するとq(位置座標)が2πr変化する。これから(4.4) が出る。あるいは、pとして角運動量mvrを取り、対応する座標として角度をとれば、一周は角度2πであるので同じ結果になる。つまり、ゾンマーフェルト の条件はボーアの条件を含んでいる。
 以上からわかるように、ゾンマーフェルトの量子条件は光や電子や、いろんな場合で共通して使える一般的な条件なのであり、量子力学を作っていく上で大き な手がかりとなる式である。

4.5  演習問題(既に載せた物を除く)

[演習問題4-9] 1次元の箱(箱内部の座標が0 < x < Lで表される)の中を壁と弾性衝突しながらいったりきたりしている質量mの粒子について、位相空間の図を書け。
この運動にゾンマーフェルトの量子化条件を適用せよ。粒子の持つエネルギーにはどんな制限がつくか?

第5章 物質の波動性

 前章で、ボーアの量子条件を導入することで原子の中の電子の運動の法則性を得ることができた。しかし、このボーアの(あるいはゾンマーフェルトの)量子 条件の物理的意味はなんだろうか?-光の粒子性を表す数値であるプランク定数hがここにも登場したことには、何か本質的な、統一された意味を見つけること ができるのだろうか?

5.1  ド・ブロイの仮説

 ド・ブロイ(de Broglie)は「波動だと思っていた光に、光子という粒子的記述が必要であることがわかった。ならば、粒子だと思っていた電子やその他の粒子にも、波 動的記述が必要なのではないか?」という着想のもと、物質の波動論を展開した(1923年)。ド・ブロイはアインシュタインによる光量子のエネルギーE= hνと運動量p=[h/λ]の式を電子などにも適用して、

p2
2m
+V = hν,   p= h
λ

(5.1)
という式が成立するのだと考えた。pは粒子の持つ運動量、Vは位置エネルギーである。つまり運動エネルギー[(p2)/2m]と位 置エネルギーVの和である全エネルギーをhνと置き換えた。
 この置き換えの理論的背景については後でまた振り返ることにして、ド・ブロイの行ったことの結果としてボーア-ゾンマーフェルトの量子条件に明確な物理 的意味が生まれるという点をまず説明しよう。円運動している場合のボーアの量子条件はmv×2πr = nhであったが、mv の部分をド・ブロイの関係式をつかって[h/λ]と置き換えると、

h
λ
×2πr = nh   すなわち   2πr = nλ
(5.2)
という式が出てくる。これは、円軌道の上を波が進んで一周する(2πr進む)間の距離に自然数個の波が入っていることを意味するのである。
 楕円軌道の場合、電子が原子核に近づくとpは大きくなる。なぜなら今、
E= p2

ke2
r

(5.3)
が一定となっており、rが小さくなるとpが大きくなるからである。よって(∫)p dqを計算する時、半径が小さいところではpを大きく、大きいところではpを小さくしながら積分を行うことになる。pが大きいということは波長λが短いと いうことだから、半径が小さいところでは波長が短くなり、半径が大きいところでは波長が長くなることを意味している。
 
 古典力学的に考えると「位置エネルギーVが増えると運動エネルギーが減る」という現象が起きているが、波動として考えると「Vが大きい場所では波長が伸 びる」という現象が起きていることになる。ド・ブロイの波動力学では、位置エネルギーというものへの捉え方が古典力学とは違ってきている。結果としてこの 二つの力学が同じような結果を示すようになっているのである(詳細は後で示す)。
 なお、このような図を見て「電子が外へ内へと振動している」というふうに勘違いする人がよくいるので念のため注意しておくが、
物質波には方向はない。
 絵で外へ内へと振動しているように描かれているが、それはあくまで図を描く都合上であって、物質波は方向のない波(スカラー波)である。後で波動関数と いう形でこの波を表現するが、その波動関数にも方向はない5。 ではいったい何の波なのかということについては、後で述べる。

5.2  電子波の確認

 いかにド・ブロイの仮説がボーアの量子条件をうまく説明しても、それだけで電子もまた波であるという確 証は持てない。しかし、電子が波動としてふるまう現象が、他のところでも見つかった。量子条件は原子内のような特別な場所でだけ課される条件ではなく、電 子の波動性という、より一般的な現象の顕れの一つに過ぎなかったのである。
 エルザッサー(Elsasser)はド・ブロイの仮説を聞いて、「電子の波動性を示す実験はすでにある」と主張した。その一つは電子とアルゴン原子の衝 突に関する実験で、遅い電子の方がアルゴン原子と衝突しにくくなるという結果(ラムザウアー効果と呼ばれる)である。ド・ブロイの説が本当ならば、遅い電 子はすなわち波長の長い波であり、波長の長い波は散乱しにくい(一般に、波は自分の波長より短いものにはあまり散乱されない)。
 電子の波動性をより直接的に示したのは1927年にダヴィッソン(Davisson)が行った電子線回折の実験である。ダヴィッソンとガーマー (Germer)はド・ブロイが物質波の考え方を発表するよりも前から、ニッケルや白金に電子をあててその反射する方向を見るという実験を行っていた。す でに1923年の時点で、ダヴィッソンは電子線の数を角度を横軸にグラフにしてみたところ、奇妙な凹凸があらわれることに気づいていたが、当時は原子の中 にある電子がボーア模型のように殻状になっていることから来るのではないかと考えていた。1925年、実験でちょっとした事故が起こった。そのためニッケ ル板が酸化してしまったので、酸化したニッケルを元にもどすために真空中でニッケルを加熱した。不思議なことに、その後の実験では奇妙な凹凸が顕著になっ たのである。加熱してもまた冷却してから実験しているのだから、原子内の電子の運動が変化しているとは考えがたい。これは高温状態を経たニッケルが再結晶 化した、つまりニッケル原子が加熱前より規則正しく並んだ結果ではないかと考えられた。
 そこでダヴィッソンらは1927年、ニッケルの単結晶板で実験を行い、電子が特定の角度に強く散乱されることを確認した。
 規則正しく並んだニッケルの結晶表面に電子の波がやってきて、原子一個一個によって散乱される。特定の角度に散乱された場合に限って、となりの原子での 散乱波との行路差が波長の整数倍になって互いに強め合うことになる(原子がきれいに並んでなければ、各原子ごとに強め合う条件が変わってしまうので、きれ いな形で強弱が見えたりしない)。そのように波が強めあった場所にだけ電子が到達すると考えると、特定の角度にだけ電子が散乱されることが説明づけられ、 奇妙な凹凸も理解できる。
 
  これと似た、X線が特定の方向に強く散乱されるという現象は、ラウエによって1912年に発見されていた。この現象はX線が波動であるがゆえに起こること である。全く同じような現象を電子が起こすということは、電子も波動としてふるまっていることになる。ダヴィッソンたちはいろんな運動量の電子をあててみ て、運動量によって回折パターンが変化することを確かめ、その現象からド・ブロイの式p=[h/λ]を実験的に確認した。こうなると、電子が波としてふる まうことも、誰にも否定できない事実となったのである。
  電子波の波長は可視光に比べて短くできる。波長が短いほど、その波を使って作った顕微鏡の分解能は小さくなる。光学顕微鏡では発見できないウィルスを電子 顕微鏡でなら見ることができるのは、電子波の波長の短さのおかげである。

5.5  演習問題(関連する部分のみ)

[演習問題5-1] 5.2節の図のように、電子波が結晶面の法線方向から入射したとす る。表面の原子で電子が散乱された時、どのような角度への反射波が強められるか。0度を除いて最も小さい強められる方向の角度θが30度であるためには電 子波の波長はいくらであればよいか。
[演習問題5-2] 電子の質量は9.1×10−31kgである。以下の表を埋めよ。
エネルギー(eV) 1 10 100 1000
運動量(kg・m/s)    
   
   

波長(m)



電子線を結晶にあてて干渉の様子を見るためには、どの程度のエネルギーの電子 線を使えばよいか。表を見て判断せよ。

Footnotes:

4このヘルツは電磁波 を発見し、光電効果発見のきっかけとなる実験を行ったヘルツの甥。
5よく「物質波って縦 波ですか横波ですか?」という質問を受けるが、どっちでもない。空間内で振動しているわけではない。


学生の感想・コメントから

 蛍光灯は4V以下では光を発しないんですか?
 そうですね。光を出せないでしょう。

 波長が長いと 波が物をすり抜けるというのには驚きました(多数)
 波動の基本的性質なんですよ。後逆に自分の波長より小さい穴は通り抜けら れない、という性質もあって、電子レンジの網を電波が通り抜けられないのもそのためです。

 結晶表面で電 子が反射される時には元のまま反射されるんですか、それともいったん原子に吸収されてから出てくるんですか?
 元のまま、単純に反射されます。

 ボーアの条件 とプランクの式が同時に記述できることから電子も波であるという発想は面白かった。
 「h」という量にはそれだけ深い意味があるのです。

 方向のない波というのが想像できない(多数)。
 物質波というのは、そもそも無理に想像しない方がいいのですが、とにかく 各点各点に一個ずつスカラー量があって、そのスカラー量の変化が伝わっていくということです。

 電子の波が音波のような粗密波でもなく、空間内で振動している波でもないとすると、円周内で 安定して存在できるかどうかを考える意味はあるのか?
 あります。方向のない波であっても、「山と谷がぶつかると干渉で消えてし まう」という性質は同じですから、山と谷がぶつかって消えてしまわないように存在しなくてはいけません。

 「物理で大切なのは実験」ということでしたが、実験ってレポートもあってたいへんだと思っていたけど大切だから授業に入っているということが実感できま した。

 もちろん、大切だからみんなやっているのです。

 宇宙には星が無限にあるはずなのに、夜空が暗いのはなぜですか?
 突然、量子力学とは何の関係もない質問ですね(^_^;)。宇宙の年齢が 有限だからです。

 電子がジャンプする時に光を出すのは電子の位置が変わることにより電磁場が変化して電磁波を出しているのでしょうか?
 古典力学的にはそうなんですが、量子力学的には「電子→電子+光子」とい う現象が量子ジャンプで一挙に起こります。

 電子は原子核の回りを平面的に回っているのですか?

 本当は「回っている」というのも間違いだし、平面的な分布でもありません。このあたりはもっと後でちゃんと学習します。

 ホメオパシーとか波動医学の考え方に役立ちそうな気はします。
 残念ながら、量子力学というのは実験的にきっちりと検証されたもので、そ ういうものとは全く違うものです。

 全てのものは粒子であり波であるのですか?
 粒子だけ、波だけ、どっちでもない物ってあるんですか?
 うーん、どうやらそういうものはなさそうです。



File translated from TEX by TTHgold, version 3.63.
On 26 May 2006, 13:17.