音も光も、波であると言われます。海の波などのように目に見えて振動している波と違って、音も光も、振動している様子を目でみて確認するということはできません。しかし、音が空気の振動であることは、例えば太鼓を「どん」と叩いた時の皮の振動の様子などをみていると実感することができます。
では、光はいったい、何の波なんでしょうか。実は電場(プラス電気とプラス電気が反発したりする力を伝える場)と磁場(磁石の引力・斥力を伝える場)が波になっています。電場と磁場の波なのでこれを「電磁波」と呼びます。いわゆる「電波」は電磁波の一種です。光も電波も、電磁波です。
マックスウェルは電場と磁場の満たす物理法則を「マックスウェル方程式」と今呼ばれている方程式にまとめました(もちろん本人は「マックスウェル方程式」とは呼んでません)。その方程式をいじくっているあいだに、電場と磁場が波になって伝わる、ということを方程式の上で「発見」し、「いったいどれだけの速さで伝わるのかな?」と計算してみました。そしてその速度が秒速30万キロ---つまり光速度だったことに驚き、喜びます。つまりこれが光の正体に違いない、と思ったからです。
波だというなら、何かが振動しているに違いない---と考えた19世紀の物理学者たちはその``何か''に「エーテル」英語でether。イーサーと読みます。コンピューターの方で使うethernetというのは実は「エーテル・ネット」という意味になります。という名前をつけました(麻酔薬に使うエーテルとは別物です)。そして、そのエーテルが実際にあるとしたらどんなものなのかを考えました。
まず、音の場合、空気中よりも水中の方が速い、水中よりも固体中の方が速い、という性質を持っています。つまり密度の高いもの、あるいは堅いものの中ほど速く伝わります。そもそも振動という現象は何かに押されて変形したものが元に戻ることによって起こります。密度の高いものや堅いものの方が変形した後で素早く元に戻りますから、伝わる波の速さも速くなります。ところで、光の速さは秒速30万キロ。音の速さである秒速300〜360メートルに比べ、ざっと100万倍も大きいことになります。このことからエーテルというのは非常に堅い物質であろうと予想されました。しかし、そんなに堅いエーテルでありながら、我々はエーテルを関知できません。つまり堅い物質でありながら、物質(我々の体を含む)を素通りさせるような性質を持っていることになります。
この不思議なエーテルという物質が存在しているとすると、我々はエーテルの中を動いていることになります。そこで19世紀末の物理学者たちは「エーテルの運動を測定できないだろうか」と考えました。地球が自転・公転して位置を変えていることから、南北方向に進む光と東西方向に進む光の速さの差を測定すればよい、と考えました。実際に高い精度でこの実験を行ったのがマイケルソンとモーレーで、その実験装置は以下のようなものです
授業ではここにあるJavaによるアニメーションを見せました。
まずは地球の速度を変えてみて、コンピュータの上で実験をやってみてください。
L字型の実験装置の東西に進んだ光と南北に進んだ光が鏡に反射されて戻ってくるまでの時間が同じか違うかを測定する、というものでした。地球は自転も公転も東西方向に動いていますから、時間差が出るはずでした。ところが、期待とは裏腹に、実験結果は「光速度は南北方向でも東西方向でも変化しない。しかも、この結果は時間、季節によらない。」というものでした。
いくつか、この実験結果への反論(および反論の反論)を紹介しておきましょう。
つまり「実験装置が動いている場合の計算で速度を$c$にしているのが間違いなのではないのか」ということですが、例えば音の場合、音源が動いているからと言って音速は変化しません。音速が変化するとしたら、風が吹く(つまり媒質が運動する)か、観測者が動くことによってみかけの音速が変化するか、どちらかです。媒質の運動しているかどうかを観測する実験をやって、それがうまくいきませんでした。
だとしたら、その6ヶ月後に同じ実験をしたら、公転速度の二倍分、エーテルに対して地球は移動しているはずです。しかし、そんなことはなかったのです。
この実験だけを説明するのなら、「エーテルは地球表面といっしょに運動しているので、地球上で実験してもエーテルの運動は検出できない」という考え方でも説明できます。しかし、そうだとすると地球表面でエーテルが渦巻くような流れを作っていることになり、外から地球にやってきた光は、地表面近くのエーテルの流れに流されることになります。これでは、我々が見ている星の位置は、地上のエーテルの流れに流された分ずれることになってしまいますが、そんな現象は確認されてません。また、マイケルソンとモーレーは屋外での実験も行っており、「部屋の中のエーテルは部屋と一緒に動いている」という考え方も正しくないのです。
実験というのは、「これを判定するためにはこれだけの精度が必要である。ゆえにこのように実験装置を組み立てる」という計画を持って行うものです。マイケルソンらも、どれだけのずれかを予想して、誤差の精度がその予想より小さくなるように注意して実験を行っています。正しい実験家は、精度が確保できないような実験は最初から行わないのです。だから「古い実験だから精度が悪い」などということはありません。この実験自体は現在でも(光にレーザーを用いるなど、さまざまな改良をしたうえで)行われているので、「古い実験だから」などという反論は、そもそも成立しないのです。
そう、マイケルソンとモーレーの実験は100年以上前の実験ですが、もちろん実験はこれで終わったわけではなく、現在もより高い精度で続けられています。現在カーナビに使われているGPSという人工衛星によるシステムは、人工衛星が送ってくるいわば「時報」の遅れ具合いから自分の位置を測定しています人工衛星からの時報が遅れているということは、自分がその人工衛星からその時間×光速度の距離だけ離れているということ。複数の人工衛星の時報の遅れを総合して計算すると、自分がどこにいるかわかる。。
GPS(カーナビ)の原理はこちらにあるJavaによるアニメーションを見せて説明しました。
このようなシステムがちゃんと動くためには、光速度が立場によって変化しては困ります。光速度不変の原理は、いまや単なる物理学の上での原理ではなく、生活にも関係してきています。
この「光速度不変」は実験事実ではありますが、非常に奇妙な現象であることは確かです。たとえば時速40キロで進む車から時速60キロで同じ方向に進む車を見ると、車が時速20キロで進むように見える(つまり実際より遅く見える)のが普通です。ところが、光の場合は決してこんなことは起きないのです。
マイケルソン・モーレーの実験でエーテルの速度が検出されなかったことは、物理学者たちに衝撃と困惑を与えました。ローレンツは「東西方向の棒の長さが縮んでいるために、東西が遅れるという予想に反し、同時に光が到着するのだ」という説を唱えました。これは{\bf 「ローレンツ短縮」}と呼ばれる現象です。フィッツジェラルドも同じようなことを考えていたので「ローレンツ・フィッツジェラルド短縮」と呼ぶこともあります。
ローレンツは、この短縮は観測できないと述べています。なぜなら、この短縮を観測しようとして物差しをあてると、その物差しも一緒に縮んでしまうからです。また、目で見ようとしても、見ようとする目自体も横に短縮しています。よって地上で、同じ速さで走っている我々がローレンツ短縮を測定することはできないのです。
地球の外から見れば見えるんじゃないか?---と言いたくなりますが、それも無理です。ローレンツの計算によれば、その短縮の割合は光の速度を$c$、地球の速度を$v$とした時、$\sqrt{1-\left({v\over c}\right)^2}$倍とするとマイケルソン・モーレーの実験で光速度の変化が測定できなかったことが説明できます。地球の公転速度$v$は秒速30キロで、光速度$c$は秒速30万キロなので、${v\over c}$は${1\over10000}$程度で、計算してみると縮む割合は${1\over 200000000}$(二億分の1)程度となります。とてもではないですが「地球の外から見て」測れるとは思えません。そもそも、この精度で長さを測定すること自体が難しいでしょう。
動いている物体は前後に縮む、と言われてもにわかに信じがたい。しかしマイケルソンとモーレーの実験を説明するにはこんな変なことが起っていると考え無くてはいけないのだろうか、と当時の物理学者たちは悩み始めます。
そして後からだんだんわかってくることなのですが、ローレンツ短縮が起こると考えただけでは(←これだけで十分不思議なのに!)、この世界で起こる不思議なことを説明するには足りなかったのです。
ここで、「何だと思う?」とアニメーションを見せながら質問してみました。私としては、↓の箱にある「ある現象が同時でない」というのが出てくるだろうと予想してだったのですが、意外なことに(と言っては失礼なのだけど)、そっちよりももっと見つかりにくい「不思議」が先に見つかって、それが答として出てきました。
反射して帰ってくるまでの時間が長くなってます。
そうなんです。ローレンツ短縮すると、
のように南北に行って帰ってくる光は「斜めに」進んで戻ってくることになります。だから、戻ってくるまでに光は長く走ることになります。「光の速度は一定」なのですから、距離が長くなったら、時間も長くかかったことになります。つまり、同じ実験の開始から終了までの時間が、地球上にいてこの実験装置と一緒に動く人と、地球の外から見ている人で違うということになります!
答は「光が鏡で反射する」という現象です。止まっている人(あるいは、実験装置と一緒に動いている人)にとっては、光は同時に反射しますが、動いている実験装置を見ている人にとっては、そうではないのです。
上の問いの答えからわかるように、マイケルソン・モーレーの実験を解釈するには、単なるローレンツ短縮では足りず、時間に関するもっと大胆な理論が必要となります。
それがアインシュタインの特殊相対性理論なのです。
慣性の法則の説明をした時に、
という話をしたのを覚えているでしょうか。この「誰が静止しているかは(等速直線運動している物の間では)決められない」というのが「相対性」です。相対性の反対語は「絶対性」で「止まっているのは俺だ!」という絶対的な基準があるとするのが「絶対的な立場」ということです。
さて、この「同時刻がずれる」ということから、「瞬間移動ができるならば時間旅行ができる」という驚くべき事実が判明します。これもここにあるアニメーションで説明しました。
瞬間移動ができればタイムマシンもできる、ということになります。しかし逆に悲観的に考えれば、「タイムマシンなんてできそうにないから瞬間移動もできないだろう」ということにもなります。
さて、ここまでで
という考えでエーテルを存在を確認しようとしていた人がいたことを話しました。この「エーテルの存在の仮定」を考えていた人は、(意識的にか無意識的にか)「止まっているのは俺だ!」という絶対的基準を求めていたことになります。もしも(実際はそうではなかったのだけど)、マイケルソン・モーレーの実験が成功して、「地球はエーテルに対して秒速○キロメートルで動いている」とわかったとしましょう。そうだとすると「エーテルと同じ速度で運動している人から見れば、光はどの方向にも同じ速さで伝わるはず」ということになります。その人は宇宙の中で特別な立場、すなわち「止まっているのは俺だ!」と主張できる「絶対的基準」を手にいれたことになるわけです。
ところが光を使っても「絶対的基準」は手に入らなかった---ということは、この世は相対的なのだ(誰も「止まっているのは俺だ!」と主張できないのだ)というのが「相対的な考え方」だというわけです。この世界はとことん、「相対的」にできているということになります。
つまり、エーテルというものを考えたこと自体が間違いなのでした!
相対論はさらに不思議な結論を産むのですが、それについては、次回話しましょう。
青字は受講者からの声、赤字は前野よりの返答です。